先週末の体験メモその1。私がダリの絵を初めて見たのは、高校美術の教科書に載っていた「記憶の固執」。明るい色で構成された広々しているのに何かもの哀しい世界の中に、ぐにゃぐにゃと輪郭の溶け崩れた時計が枝に掛かっていたりテーブルからこぼれかけていたりする光景が、強く印象に残った。意味のわからないものを目にわかりやすく描いてあるというのが、私には好ましく感じられた。
意味のわからないものを目にもボヤボヤと描いてある絵は、「わからない」と匙を投げて終わりにしてしまいたくなるのでそうする。しかし意味のわからないものを目にわかりやすく描いてある絵は、頑張ったりいつか機会が来たりすればわかりそうかもという希望が持てる。まあ実際にはわからないままなのだけど、「観て気分が良い」絵であるというだけで私には充分だと思う。
そんなダリの絵が多数取り揃えられている「ダリ回顧展」。まさか日本(の中の上野)にこんなにダリ好きの人がいようとは思わなかった。私は前述の通りの理由でダリの絵好きだなぁと思っているんだけど、他の人達はどうなんだろう。マイナーとは思わないけど、そんな万人受けする絵だとも思わないんだけど。でもそれを言ったらピカソの絵が何故ああまで評価されているのかが私にはさっぱりわからず、つまり私は絵の良し悪しがさっぱりわからない人間なのだから、考えるだけ無駄なんだろう。なので後はとっとと自分の安い感想を吐き出して終わる事にする。
猫カゴいらんかぇ〜(猫またぎ)・黒ネズミVSおっさん(気が付けばデブ猫)・しっぽがなかよしな二匹(11月5日付)・「ターゲット捕捉!」「やめれ!」(11月6日付)(299〜nikukyu〜)・委員長スタイル(タクミノセカイ。)
★ 「本当にさっきまでそこに」(出られないから仕方なくここにいるよ。)
「こんな私でも〜」みたいな話をblog等に書いた途端にその人がいなくなるかも妄想。私が、仮に自分に現在進行形恋愛話があったとしても、恋愛話としてweb日記には書かないと決めている理由の内で最大がこれ。
★ 「ダメプレッシャーによる自家中毒」(東京横浜オーケストラ)
ダメプレッシャーに押し潰される恐怖故に仕事できない人。私が失業してから後、ずっと契約社員に甘んじている理由がこれに近い(私の場合は全く働かないでいるのも違うダメプレッシャーになるので妥協して今の形)。
第1回「全国学校給食甲子園」の結果。地場産業を活かしつつ子供が喜ぶ給食作りに励む人達がいて、支払能力あっても給食費滞納決め込む親がいる。→「給食も競争時代 きょう“学校一”が決定 食産業にじわり浸透」・第1回 全国学校給食甲子園
★ 「『非モテを語る権利』をめぐって争ってはならない」(草日記)
非モテの被害者性を否定して「語る権利」を奪うのも、非モテが己の被害者性を盾にして「語る権利」を確保するのも、等しく愚かであるとの指摘。後者に該当する政治的主張したい非モテの反論を読みたいな、と思った。
横書きの中に縦読みを見いだす遊びって日本独自のものでしょうか。面白いですよね。「日本独自」っていうとすぐコンテンツ産業として売り出せないかとか思っちゃいます。
短歌の折り句みたいなところで留まってる縦読みは好きなんですけど、文頭とかじゃなくて判り辛いところに仕込んで釣りがメインな縦読みがあんまり好きじゃないんですよねー。でも面白いです。