職場において、普通にしていれば地味に敬遠され嫌われる傾向にあるらしい私であるからして、別に好かれまでする必要はなくとも、仕事に差し障りのない距離感ぐらいは保っておきたく、私なりに気の利いた会話等を心掛けてみたりもする。私が「今のネタは会心の出来!」と感じる時、それは殆どの場合「飛ばし過ぎ」なようで、話を振られた相手は苦笑いをするか、戸惑っているかである事が多い。過去に一度きりだが、社長室に呼び出された日もあったっけ。
飛ばし過ぎなかった場合、周囲はそこそこ、クスクス笑いをしてくれ、私の望んだ緩い空気が生まれ、私はとりあえず満足する。しかし時には、「素光さんは面白いねえ」等といった感想を述べられる日もあり、この反応を得た場合、私の心の中で安堵よりも不安のほうが上回る。「おまえは面白がられたくてネタ振りをしたんだろうから、お望み通りの評価を投げつけてやるから有難く思え」――と、言われている気がしてならなくなる。私は面白がられたいんじゃない、好かれたいんでもない、ただあまり距離を置かれたくないだけなのに。
少し話は変わるが、「言われて嬉しさよりも不安が勝る言葉」としては、他に「若い」というのもある。私は幼少の頃から低身長で、加えていつの頃からか童顔で、常に若く見られ続けてきた。30代も半ばを越えた今となっては、「若い」から「年齢不詳」にずれ込んだだろう、と自分では思っている。しかしそんな中で、「素光さんって若いねー」等と言われると、私の心の中で嬉しさよりも不安のほうが上回る。理由の一つは、「おまえは若く見られたがっているに違いないから、お望み通りの言葉を投げつけてやるから有難く思え」――と、言われた気がしてならなくなるから。「面白い」と同じ理由である。そしてもう一つの理由は。「おまえの中身はおまえの年齢に少しも追いついていやしない、『幼稚』という意味でこの言葉を贈ってやる」――と、言われた気がしてならなくなるから。
あくび!(レオンちゃんとパンダ日記)/今朝、うちのマンションの前の道から「何言ってんだかわかんないよ」っていう、男の子の声が聞こえてきた(※テキスト※)&猫が俺の部屋の前に狩ったモグラ置いてった(※テキスト※)