と或る都道府県のアンテナショップで、うずらの煮玉子を売っていた。うずらの卵は小さくて美味しく、その味の濃さは一般的な鶏卵を安定して上回る。そんな卵で煮玉子を作った日には、一体どんな怪物が生み出される事だろうか。是非とも真っ向から対峙したく、買って帰った。レトルトパックを開封、大きく深めのタッパウェアに漬け汁毎移し、幾らか分を早速食べた。――その美味しさといったら、想像していた通りであり、想像以上であった。鶏卵の煮玉子ならば、「卵は一日一個まで!」と自分を御せるのに、うずらの煮玉子では、小ささを盾に次々と食べたい自分に歯止めが利かず、大変な思いをした。
それから数日後、再びうずらの煮玉子を食べた。最初に食べた時と同じく美味しかった。違いは、食べた後に現れた。自分の身体の出来事ながら驚かずにいられない勢いで、お腹が下ったのだった。体調が悪いとか、お腹を冷やしたとかそんな日常ではなく、「私は傷んだ食べ物を食べたに相違ありません」という規模の、変調であった。そして、その日食べた食事の内容を振り返る、濃厚に疑わしいのはうずらの煮玉子であった。商品の鮮度には全く問題なく、単に私がタッパウェアに移して数日置いた事により、外気に触れた煮玉子が変質を始めてしまったのではないか。
しかし、私はその数日後、再び同じうずらの煮玉子を食べた。「お腹を壊した原因がこのうずらの煮玉子か、もう一度食べて確かめてみよう」という名目であった。危険を冒してでもまた食べたいぐらいに、うずらの煮玉子は非常に美味しい食べ物であった。そして私は、またもやお腹を壊した。もはや、腹痛の原因は間違いなかった。そうなった以上、「お腹を壊した原因がこのうずらの煮玉子か、もう一度食べて確かめてみよう」という名目は通らなくなった。私は心の中で泣きながら、うずらの煮玉子を廃棄したのだった。
オランウータン 視線の先には(動物の写真)・おんぶアリクイ(動物園写真館 別館)