ここ数日間、或るクレーム対応に関わっていた。そのユーザが要求する“正当な対応”は、もしも私自身が過去に杜撰な対応をされていた場合、その轍を決して再び踏まない為に、是非とも要求しておきたい――と考えたとしても不自然ではない、理屈の上では筋の通った内容であった。
我が社及びクライアントにとっての問題は、「もしも全てのユーザがそのレベルの対応を要求した場合、サービスそのものが存続不可能になるであろう」という点にあった。本件は、私から現場責任者へ、現場責任者から統括責任者へ、統括責任者からクライアントへと責任が委ねられ、結果として、「特別対応」の指示が下された。つまり、そのユーザに限り、“正当な対応”の要求が受け入れられた。
ここまで、私にとっては何の不満もなかった。私は基本的に、「ユーザに要求されれば、自分の裁量内なら何でもしてしまいたいタイプ」であるから、自分の裁量外の部分を権限者が出血大サービスすると決めたところで、異のあろう筈がなかった。私にとっての問題点は、唯一点。そのユーザが、サービスクローズまでの問い合わせ窓口を、私1人に絞り込んで指名してきた点にあった。もしもユーザが、新たな“正当な対応”を要求してきた場合、私はどのように平静を保つべきか。もしも平静を保てなかったり、もしくは不意に“地雷”を掘り当てたりして、状況をこじらせてしまったら、私は一体どうなるのか――。
ユーザへのサービスが無事クローズしたと聞き、中古ではあるけれどもゲームソフトを1本買って、ささやかな祝いとした。こういう“自分へのご褒美”文化を鼻で笑う向きが少なからずいるようだが、割と命綱であり、そう馬鹿にしたものでもない、と思う。
知らない猫。(烏森口の女王)・あそぼうよう(せかニャ!!)/ねぼけまなこ(猫式訓練所)/さっき隣人とその飼い猫が喧嘩してた。(※テキスト※)&「名犬ラッシーのようだ…」と言いながら誘導されていった夫(※テキスト※)(以上2点、ねこメモ)