今日は(はせべのお気楽猫たち)・めずらしっぽ(ほれぽれDays)・鉄壁&デュオ(以上2点、世界はニャーでできている。-なでしこ館-)/コッソリ見てますニャ(猫式訓練所)・クロネコの生る植木鉢&紅葉深まる秋~猫のいる光景~(以上2点、ねこメモ)
Twitter/www11bigorjpkkk経由で、「図らずも夫の趣味を奪ってしまい、どうすればいいのか。」(大手小町)を読んだ。お金もかからず健康維持に有用である夫の趣味を、基本好ましく思っておりながらも、唯一「未婚女性と練習やメールのやりとりを親密に行っている」点がどうしても我慢できず、夫に改善を申し入れたところ、夫が趣味そのものを辞めてしまい、途方に暮れているトピ主の相談である。
トピ主の思い描いていた“理想形”に対しては、さして無理とも感じられず共感できたものの、「他人に何か申し入れをするという行為は、自分の望み通りの結果を生み出して然るべき」というトピ主の信念が、私には全く理解できなかった。「他人に何かを依頼する」事は、それにより事前に増して悪い状況を招く恐れも充分にあって、その危険性を重々承知した上で、「でも、このまま動かないでいるよりは絶対マシ!」と判断した時だけするもの――だばかり考えていた。というか、今なおそう考えている。
トピ主で具体例を挙げるなら、「お前みたいな煩い女とは別れる」「お前の趣味にもこっちからガンガン口出す」「お前みたいな糞女にこれまで配慮してきたのが馬鹿だったので、これからは金だってガンガン注ぎ込む」――という展開だって、重々考えられた筈である。それらに比べれば、「趣味そのものをやめてしまった」のは遙かにマシだったし、それらと比べるまでせずとも、「未婚女性と親密」な状況を改善できただけでもマシだったのではないのか。トピ主は、“理想形”以外を受け入れられないのだろうか。
トピ主が、夫の主張を理解できないように、私はトピ主の主張を理解できない。世間的には、私の考えが理解されない可能性のほうが大きいかもしれないが。