箱師健在(Cat Scratch Fever)・久しぶりの光遊びにゃ♪(ちびうるシンガプーラ)・ハチワレさん(世界はニャーでできている。-なでしこ館-)・CD。(烏森口の女王)/可愛い猫ちゃんの画像ください!&【面白GIFアニメ】猫さん、華麗にスルー(以上2点、ねこメモ)/何がしたいんでしょう?(※テキスト※)&多治見市はなぜ日本一暑いのか?(※テキスト※)(以上2点、ねこメモ)
キリンとハト(動物園でお散歩)・チンパンジー(よこはま動物園ズーラシア)(動物チラリズム)・公園で撮影(猿/動物園写真館)・ウメキチ 15&ことら3兄弟(以上2点、動物園始めました。)
はてなブックマークお気に入り経由で、「彼女が影でtwitterを使っていたので別れようと思うんだけど」(はてな匿名ダイアリ)を読んだ。10歳以上年下の彼女から猛プッシュを受け、「今やっているなら仕方がないけど、mixiやtwitter等、割合身元を明るくして交流するサイトに関しては出来るだけ控えて欲しい」という唯一の条件を設定して交際を始めたが、彼女は隠れてtwitterをやっており、そこで恋愛の愚痴も零していた為、「ネット上で知り合っただけの大して仲の良くもない人達に彼氏がどーのこーのと言うのを見せてうだうだやっている彼女が気持ち悪くて仕方ありません」「生理的に駄目になってしまったので別れようと思う」と語った上で、「この『ネットを介して容易に見ず知らずの人と繋がる』と言う事に対して嫌悪感を抱く僕はおかしいのでしょうか? 僕が時代遅れなのでしょうか?」と問い掛けているエントリであった。
私はこのエントリについて、「書き手は“時代遅れ”かも知れないが、“おかしい”とまでは言えない」と感じた。しかし、他の人の反応も確かめるべくはてブリンクに跳んでみると、拒否反応が予想以上に多かった。そしてその拒否反応が、私にはどうも納得行き難いものばかりだったので、私は誰に頼まれてもいないのに、元エントリの書き手を擁護してみる事とした。
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私は、匿名アンケートサイトとして設計されている自アンを無署名で利用し、blogを固定HNという顕名で利用している。自アン民である点を明かしながら顕名blogを書く姿勢について、随分前の自アンで「肥大した自意識」的な物言いをされた事もあった。私は自分自身に対し、「匿名サイト上では体験や感想を自分という一個人に集約しておらず、TPOに合わせて行動している」と自己判断しており、よって顕名活動を止めるつもりは全くないが、それはそれとして、先の自アンでの指摘にも一理あったと考えている。固定HNという一個人に集約した形で体験や感想を披露し蓄積する私は、自己主張とログ保存を捨てた匿名アンケートサイトでの活動のみで良しとする人達と比較すれば、間違いなく自意識が肥大しているのである。
これは、「視点を何処に置いて判断するか?」の話に過ぎない。「匿名サイト内で自体験を披露する行為が、匿名であろうとも既に自意識の過剰な発露」と考えるのも、間違いではない。「顕名はNGで匿名はOK」と考えるのも、間違いではない。「実名はNGで顕名&匿名はOK」と考えるのも、間違いではない。
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エントリの書き手に対する批判として、「書き手は彼女を束縛したいだけでは?」「彼女に自分の感覚を押し付けるのはおかしい」といった意見があった。これらに対し、「書き手は、交際の条件を先に提示しており、彼女がその条件を飲んで交際が始められている以上、他人がとやかく言える事ではない」と反論するのは簡単である。だがしかし、もしも書き手が先に条件を提示していなかった場合でも、恋愛対象を「生理的嫌悪感」で制限するのは、批判されるに値する行為なのだろうか?
公私の「公」部分において、「生理的嫌悪感」を上段から振りかざしている人がいた場合、私はその人を「理性が未発達な人だな」とマイナス評価する。しかし「私」部分において、「生理的嫌悪感」をあくまでも自分自身の判断基準として提示している人がいた場合、私はその「生理的嫌悪感」について自分自身のそれとすり合わせて「納得できる」「いや無理」という感想を抱く事こそあれ、一般常識としての共有を強要されでもしない限り、マイナス評価には繋げない。生理的に避ける結果になったとしても、駄目な人だと思ったりはしない。
恋愛は言うまでもなく、「公私」の「私」部分である。相手側にも、自分と全く同じ権利があるのを承知した上で、自分にとって好ましい相手と、好ましい内容の交際をすれば良いのではないか? 「私」の部分でまで、生理的嫌悪感の克服を図る必要なんてあるのだろうか。そりゃあ「生理的嫌悪感」なんてものは、克服できた方が人生の幅が拡がって素敵だろうけれども、「私」部分に限っては、他人が矯正を迫るものでもないと思う。そうじゃないのならば、書き手の生理的嫌悪感を咎めていた人達には、容姿も年齢も性別も種族も全てを一切合切問わない不特定多数との恋愛に、これから先、全力で励んでいってもらいたい。