他人に何かしらの親切を尽くすに際して気が咎めるのは、自分が「親切」と考える行為が、他人にとって逆に「迷惑」である可能性が、ふと頭によぎるからである。「迷惑」を働く結果になるならば、何の為に行動したんだ、という話になる。また、こちらの「親切」がまるで伝わらないまでは、何とか我慢できるものとして、「迷惑」を働く人間だと見なされるのは、想像するだけでも恐ろしい。「迷惑」を働く人間と見なされたくないが為に、自分本位な行動を極力慎むよう心掛けているにも関わらず、他人の為に働こうとした結果、「迷惑」を働く人間だと見なされるなら、「だったら今後、自分本位な行動を慎むのなんか止やめてやる!」という反動に走りかねない。
――こんな風に、動く前からがんじがらめになって動けない頭であるので、利用した飲食店のトイレのペーパーがちょうど自分の番で切れて、予備が手の届く範囲に見当たらず交換もできない時に、店員へ「トイレの紙が切れてましたよ」と伝えるのでさえ、恐ろしくてたまらない。頭の片隅に小さく留まる冷静な私が、「用を足してから初めてペーパー切れに気付いて喜ぶ客なんかいないし、用を足してから初めてペーパー切れに気付いた客からクレーム付けられて喜ぶ店もないよ! 少なくとも今回は、何の問題もないから落ち着け!」と諭しているのだけど、その声も心の中までは届いていなくて、むやみに心臓がバクバクした。
下からのハンモック(すぐりとミルク)・らぶらぶ(ねころぐ)・風の塔の仔猫のクロちゃん&クロちゃんのトレーニング(以上2点、The Greek Cats)・寝る者キメる者&こぐま&魅惑(以上3点、世界はニャーでできている。-なでしこ館-)