韓国国内では大評判でも、日本国内では興行成績が芳しくなかったという、「グエムル」の監督による作品。この監督は、「グエムル」の他には「殺人の追憶」「吠える犬はかまない」等、韓国の日常を舞台にした社会派な作品を撮っており、自国の文化や風潮を厳しく見詰める眼差しが伺えて、好きな映画監督の1人である。なので、彼の最新公開作も、張り切って観に行ってきた。
話は、いわゆる“知恵遅れ”の息子に対して盲目的な愛情を注ぐ母親の話で、この息子の“知恵遅れ”加減と母親の盲目ぶり双方の危なっかしさが、初っ端のエピソードで端的に描かれている。即ち、干した薬草を刻む母親は戸外の息子の様子を見守り過ぎていて手許が危なっかしく、しかし母親の予感は的中して息子は車に撥ねられ、母親は半狂乱になり手許が狂い自分の指を傷つけたのにも気付かない勢いで息子の元に駆けつけるが、息子は母親をうるさそうにはねのけて、悪い友人と一緒に復讐という名目の愚行に乗り出し、母親と自分の立場を危うくするのである。以後、母親は息子に盲目的な愛情を注ぎ続け、息子に振り回され続ける。
韓国の日常を実際に知らないので、正確なところはわかりかねるが、携帯電話やファストフードが出てくる辺りからして、舞台は現代のようであり、でも人家が途切れた風景を見るに、主人公母子の住まう地域は若干郊外寄りのようであり、また主人公母子は作品中でも語られている通り、貧しい風である。「現代」「やや郊外」「貧乏」のそれぞれが持つ“汚さ”が、映像に積極的に取り入れられているように感じた。日本の昔の映画やドラマを観る時と同じ気持ちになのだが、日本の昔の作品が積極的に汚さを描写しているかは定かではない。
ネタバレを避けて深くは語れないが、“知恵遅れ”は果たして無垢な存在なのか? 母親の愛情は果たして無垢な感情なのか? ――そこに対する疑問と一つの答えを突きつけた作品、と感じた。
あと、観ている時には「確かに母親が言う通りに顔立ちが整ってはいるけれど、表情とか不気味だし本当のハンサムではないなあ」と感じていた息子が、実は“韓流四天王”ウォンビンが演じていたと知って酷く驚いた。演技でああいう病んだ表情を作っていたのか、役者ってしみじみ凄いなあ……。