動物園という場所は、休日ともなれば親子連れで満ち満ちており、どうやら子供好きではないらしい私の気持ちを重苦しくさせる。しかし時には、意外性のみで構成された会話を私の小耳に挟み込み、重苦しい気持ちをあっさり吹き飛ばしてくれる。
その親子が、正確に何人構成だったかは定かでない。私の記憶に留まったのは、元気いっぱいの妹と明るい母親とクールな兄の3人。園内の通路を歩く私のずっと前方にて、元気いっぱい風の妹が、元気いっぱいな口調で母親に質問を投げかけている姿が、彼等の最初の記憶になる。
「マグロってー、泳いでないと死んじゃうんでしょー?」
そこは水族館ではなく動物園なので、何故マグロについての質問が出ていたのかは定かでない。昨夜の夕飯のおかずだったのかも知れないし、或いは今夜の夕飯のおかずなのかも知れない。いやいや、いつも食べる事ばかり考えている私じゃあるまいし、得たばかりの知識である「マグロは泳がないと死ぬ」が、妹の頭の中をいっぱいに占めていて、ふとした折に零れ落ちたというところが妥当だろうか。そして母親は、上下にジャージを着て全体金髪&頭頂部だけ黒という髪型でエミューの檻の前で「ほら、駝鳥だよー」とのたまう人種――動物園では必ず見かける――ではなかったので、妹の知識を肯定した。「そうだよ」
ここまでなら、非常にありがちな親子の場面として、見た端から忘れ去ったに違いない。しかし、母親という絶対的な存在から己の持つ知識の信憑性を裏付けされた妹は、元気いっぱいな口調のまま続けてこう叫んだのだった。「だったらー、泳ぐのをやめちゃえばいいのにー!」。中二病に陥るにはまだ幼過ぎる身から明る過ぎる口調で発せられたその発言は、通りすがろうとしている私の耳に入って脳内のメモ帳を起動させた。そして母親は、喫煙所を無視して火のついた煙草をくわえて歩きながらアライグマの檻の前で「ほら、レッサーパンダだよー」とのたまう人種――動物園では少なからず見かける――ではなかったので、妹の発言に対し教育的に突っ込んだ。「それじゃあ、死んじゃうじゃない!」
ここで、満を持して兄の登場である。妹の無邪気で元気な口調とは異なり、やや大人びて落ち着いた口調で、彼は言い放った。「えー? 死んじゃったほうがいいのに」。何故この兄妹は、マグロが死ぬべきだと考えているんだろうか。マグロを死に至らしめたい程の根深い恨みがあるのだろうか。それとも単に、マグロを食べたかっただけだろうか。いやいや、この場でマグロを食べたいと考えているのは私だけだろうか。疑問を残しつつ、彼等親子に関する記憶はここで終わる。