小さな愛らしい茶色いやつ(マンクスロフタン/Photolog Zoo)/「パンダがべろべろバーしちゃった画像いろいろ!」(おもしろ動物園)・「海の中にいるUFOクラゲなどなど」(エルエル/→他の画像:“Aliens of the deep: The weird and wonderfully wobbly animals discovered by 'sea census'”(Mail Online))
森博嗣の原作を、押井守がアニメ映画化。押井守が強烈にライバル視しているらしい宮崎駿監督作品を観に行ったので、比較という理由だけではないけれど、こちらも観に行ってきた。認識している範囲では、初めて視聴する押井作品となる。感想を書き上げるまでに随分時間が掛かってしまった。
冒頭、戦闘機の空中戦を描いた場面での、実写と見紛う程の緻密さ・スピード感・臨場感に度肝を抜かれ、やや経って人物が登場してきた時には、その人形のような造形とシンプルな描線にホッとする反面、落胆したりもした。リアリティある背景と、それに溶け込まないイラストまんまな人物の取り合わせは、登場人物達と現実の間に乖離がある様を表現しているのかどうか考えた。答えは出ない。ただ少なくとも、“永遠の子供”でありその生に現実感もないキルドレ達が、いっぱしのオトナ同様に娯楽或いは現実逃避目的で、飲酒やら性行為やらに耽る姿が、私の目には内面も外見も等しく釣り合ってキモチ悪く映ったので、適確な絵柄と判断した。
キルドレ達の声は、本職の声優でなく俳優&女優があてていたが、如何にもアニメ的な絵柄&話&キャラではないこの作品の場合、やはりこれも適切な選択であると感じた。ユーイチの虚ろな希薄さ・水素の張り詰めた硬さ・トキノの地に足着かない軽薄さ、どれも本職の声優では、表現が過剰になってしまい、適切でなかったように思う。
登場人物は、まず「キルドレ」達。戦闘機に搭乗しての殺し合い=代理戦争に身を投じる事を余儀なくされている。しかし主人公含む多くのキルドレ達は、自身の運命に悲壮感を抱いている風でもなく、淡々と身を投じているように見受けられる。そんなキルドレ達を取り巻く「大人」達は大まかに2種類に分けられ、まず1つが、キルドレ達を無邪気に応援し見学にやってくるような大人達。もう1つが、キルドレ達に重苦しく不条理な宿命を背負わせた事への罪悪感か何かを抱いているかの如き、憂鬱な表情を時折見せながら、キルドレ達の日常にそっと寄り添っているように見受けられる大人達。ここで、どちらの立場に感情移入するかで、この作品の見方が若干変わってくるのかもしれない。かつて職場の先輩からアダルトチルドレンだと指摘された私なんかは、当然、傍観者の癖してキルドレ達に気持ちを置いて、物語の一部始終を眺め、私なりにメッセージを読み取ろうと試みた。
「永遠に繰り返すに見える日常。その中で華々しく勝ちを収めていようとも、最終的には何処かで絶対勝てない敵に挑み、華々しくそして空虚に散る羽目になる。それは、物語世界だけでなく実際の人生における不条理である。でもそれでも、その永遠の繰り返しとそれを断ち切る不条理への挑戦そして散華は、繰り返しの中に僅かでも変化が生じる事と、その変化には同じ環に囚われた誰かの気持ちを救う種がある事から、決して無意味ではない。だから渦中の人間は自暴自棄になる必要はなく、傍観者も罪悪感を抱える必要はない」
実際にこういうメッセージが込められているんだとしたら、それが真実か欺瞞かは今の私にはまだわからないけれども、どちらにしても、押井守という人は優しいロマンチストなのだと思った。何かもっと、理屈とスキルを捏ね回して悦に入るタイプかと思ってた。いつか、他の作品にも手を出してみたい。