シーツ交換(おいしい。/烏森口の女王)・うちのFAX当番(ねころぐ)・乾かないマット(ニャ郎ども通信)・「おにぃちゃんは強いのん」の巻。(我輩はスコである。)/ほっぺにチュッ♪(猫式訓練所)/Diarymotion“CAT ATTACK”(ザイーガより)
サル寝入り&行列(ニホンザル(釧路市動物園)/動物チラリズム)・おうちでおもちゃ(しなもん日記)/YouTube“twirl a squirrel”(ギズモード・ジャパンより)
★ 「かわいい女の子だけ優しく」(その時2ちゃんが動いた)
「先輩は可愛い女の子だけ優しくする」→「自分達が優しくされないのは可愛くないせい」とまで理解していながら先輩に優しくするよう要求できる不細工とは、同じ不細工同士でも私とは理解し合えないだろうと思った。
★ 中日新聞特集「いじめと生きる」第4部・「科学的」に考える「(1)画像 心が傷つけば脳にも傷がつく」
「いじめを受ける→脳内神経伝達物質のドーパミンとセロトニンのバランスが崩れる→扁桃核に傷がつく→精神疾患が生じる」by松沢大樹東北大名誉教授。説として興味深い。自ニュFより。
★ 「本物のビールはヱビス、モルツなど5%だけ 『まじりっけなし』の嘘」
「まじりっけなしのうまさ」「本物のうまさ」と謳われている商品には米・コーン・スターチ等の添加物が使われており、本場ドイツの基準では本物と呼べない、という話。この蘊蓄を傾けつつ飲む偽ビールは美味しそう。
骨密度測定器の営業マン、クリス・ガードナー。全財産を注ぎ込んで抱えた高額な商品は滅多に売れず、妻の働きでようやく家計を支えてはいるが、家賃も税金も払えない日々が続いていた。クリスは成功を掴むべく、「6ヶ月の研修期間中は無給で合格者1名きり」という、証券会社の養成コースに挑む決意をする。だが妻は先の見えない困窮に疲れ果て、息子を連れて家を出てしまっていた。父親を知らない幼少時を過ごしたクリスは、自分の愛する息子に決して同じ思いをさせないという信念から、息子を奪い返し、モーテルから公衆トイレや教会の無料宿泊施設での宿泊と生活を落ちぶれさせつつも、平日は研修・休日はセールスと過酷な日々を走り続けていく。
当初観る予定のない作品だったが、某著名映画批評サイトにて「ラストのネタバレが出回ってしまっているので早めに観るべき」と紹介されているのを読んで、「えーこれって“息子を抱えた父親の努力奮闘成功談”で終わらずにどんでん返しがあるの!?」と俄然気になり観に行ってきた。結論を先に言うと、“息子を抱えた父親の努力奮闘成功談”以外の何物でもなかった。続けて言えば、“家族(or親子)の感動物語”でもなかった。
主人公クリスの視点から語られるこの物語をごく簡単にまとめれば、「自分の哀しい幼少経験から生まれた、自分が息子へ向ける強い愛情」「貧しい生活にも歪まず純粋で、かつ自分に似て聡明な息子」「頭の回転と話術と逆境にも挫けない粘り強い忍耐力によって、ようやく掴んだ成功」となる。しかしこれはあくまでも“主人公クリスの視点から”。数歩下がった位置から醒めた視線を向ければ、そこに見えるのは「愛する息子が母親を求める言葉を発しても何の手も打たない、所詮は『幼かった頃の自分の淋しさを埋める代償行為』に過ぎない自己満足な息子耽溺」「貧困の原因が『自分の能力を過信して投機的セールスに手を出した結果』であるにも関わらず、幼い息子を巻き込んでまでなお人生の大博打に出るギャンブル人生」「タクシー料金を踏み倒し、バスの列に割り込み、他人を蹴落としてこそ叶うアメリカンドリーム」。そんなクリスの生き様からは何の感動も得られなかったし、かといって、「欲望や夢に取り憑かれた他者に高級医療機器を奪われたクリスが必死で追跡劇に転じたりする様」に爽快感を得られたかというとそれもなく、ただただどんよりと世知辛い気分に浸った。
だがしかし、クリスの息子が「純粋で聡明」で「愛されるに値する」子供であった事は否定しない。酷い境遇でもほとんどワガママを言わず、それでいて父親が望む時には子供らしい無邪気さを振りまいて彼を慰められる、大変良くできた子供であった。この息子を演じたのはウィル・スミスの実の息子だそうだが、彼はダコタ・ファニングのような“一流俳優とも渡り合える天性の存在感”等のない、ごくごく普通の黒人の子供だったので、映画を観終わった直後では彼の演技が上手かったのかどうかよくわからなかった。しかし後から場面場面を反芻してみるに、彼は「悲惨な境遇でも無邪気に父に沿う黒人少年」を違和感なく演じていた。実際の彼が、ハリウッドスターの息子で恐らく貧乏とは無縁な日々を営んでいるに違いない事を考えると、問題なく演技が上手かったのだろう。彼とウィル・スミスのごく自然で心暖まる親子共演が観られたという意味において、この映画は観る価値があったと言っても良い。