めしくれにゃんぽ(まるまるかじつ 子猫成長記録)・トラミケ、あらあら、みんなの距離感がビミョウですね。(フクトラ日記)・目覚め(アポロとチョコの優雅な日々)・すやすや(ねこなど)・陸上自衛隊第9師団第25猫科連隊の過酷な行軍風景(タクミノセカイ。)
漫画で原始人や野蛮キャラが丸かじりしている骨付き肉が、何と阿佐ヶ谷で売られていた。「かぶりついた時に歯型がつくように」ソーセージで作られており、味は胡麻味とチョリソー味。一度は食べてみたい。
2001年9月11日、朝の離陸ラッシュの中で不審な行動を取る旅客機に気付く管制センター。呼びかけに応じずレーダーからも消えたその旅客機は、ハイジャックを疑い緊急体制を取る人々の目の前で、世界貿易センターに激突し自爆、その後続けてもう1機が同じく世界貿易センターに激突する。管制センター員や防空司令センター員は、その他にもハイジャックされた機体はないか、更なる危機を未然に防ぐ方法はないか、対策に右往左往する。その頃ユナイテッド93便の機内では、乗り込んでいたテロリスト達が爆弾を手に機内を制圧していた。携帯を通じて地上の家族達と交信し、自分達が今どんな事態に巻き込まれているかを理解した乗客達は、家族と最後になるかもしれない会話を交わし、そして生き延びる為にハイジャック犯と対決する覚悟を固める。
「911」と称される米国同時多発テロ事件にて、ハイジャックされた4機の旅客機の内、対象への特攻を果たせず墜落した唯一の機体であるユナイテッド93機に焦点を当てた作品。残された資料や当事者達の証言を元に脚本を起こし、当事者によく似た無名の人々や当事者本人や多数配した俳優陣を敷き、状況を盛り上げる音楽や演出の類は極力排して、当時の緊迫した状況を冷静に伝えようと試みている。その試みは実を結んでおり、情報を知らなければこれが真実だと鵜呑みにしてもおかしくない程のリアリティで迫る内容となっている。
こういった「事実に脚色を交えて脚色部分を強く訴える」手法は、わかりやすい英雄像の創作&扇情的な演出を交えたありきたりな作りよりも、観客に対して強い洗脳効果が働くもののように思った。この作品及び題材に限っては、渦中の乗客達が軍人でも政治家でもなく本当に一方的に巻き込まれただけの一般市民である事と、テロリスト達が彼等の敵ではあっても悪とは描かれていない事から、少なくとも私はこれを洗脳作品と位置付けようとせず、犠牲者達の墓標と解釈したい。彼等が唐突かつ不条理に未来を閉ざされかけ、土壇場の執念と団結でそれに立ち向かうものの敢えなく絶たれる無念な様に、テロリスト達にではなくテロという手段への恐怖と憤りを覚え、そして彼等の死を悼んだ。
→関連:wikipediaアメリカ同時多発テロ事件・ユナイテッド航空93便テロ事件
第2次世界大戦末期の日本。昭和天皇は待避壕にて、侍従達に囲まれ儀式に則った生活をし、軍部首脳陣との御前会議に出席し、生物学の研究に携わり、皇太子に手紙を書き、アルバムを紐解いていた。米軍からの徴集を受けて米大使公邸に着いた彼は、司令官の前で、連合軍の決定に従う旨を語り、司令官から提案された「人間宣言」を受け入れる決心をする。
ロシア人監督が、“20世紀の権力者”として、ヒトラーとレーニンに次いで主題に据えたのが、日本の昭和天皇であった。この映画は映画サイトで取り上げられながらも、「日本での上映は難しいだろう」と語られていたが、しばらくして無事上映される事となった。この「上映は難しい」理由を、観る前の私は次のように考えていた。即ち、終戦直前直後の昭和天皇を1人の“人間”として描く事で、天皇しいては現皇族に続く権威を貶めると同時に彼の戦争責任にも触れざるを得ず、それ故に右翼的立場にある人々の怒りを買わずにいられないと考えているのだろう、と。しかし実際に観てみた感じではその逆、昭和天皇を“現人神”や“軍部の実質最高権力者”でなくしかし浮き世離れした“雲上人”として描く事により、彼に戦争責任があると信じる人々の怒りを懸念していたのかも、と考えた。
しかしこの作品はそのような直球ストレートな見方や、「『事実に脚色を交えて脚色部分を強く訴える』手法を用いた洗脳効果の高い危険なフィクション」という認識で見るものではないと思った。「ロシア人という他国人である監督が、異国である我が国において比較的最近では最も有名な歴史上人物の1人であり一時期は神とも称されていたこの特異な存在を、どのように捉え表現しようとしているか」をメタ・メタな視点から観賞し、またギャグまで行かないギリギリのラインで特徴を捉え誇張して再現しているイッセー尾形の演技を味わい、昭和天皇の孤独と苦悩そして絶望的な戦局にもシンクロしてげな重々しく閉塞的で静謐な音楽と映像を観賞すれば良いのかな、と思った。戦争末期の昭和天皇を人間として描写する行為を肯定する前提において、イッセー尾形の演技は昭和天皇の孤独と浮き世離れぶりと人としての温かみをとても巧く表現していた。しかし桃井かおりの皇后は、ラストに突然出てきた「女版昭和天皇」にしか見えず、皇后なりの人物像というものが理解できないまま終わったのが個人的に残念だった。
わたしも観たのですが、桃井かおりはどうしたって桃井かおりでしかなく、「あっそ」というのも桃井かおり的でちょっと醒めました。焼夷弾が魚のようなのがとてもきれいだった…
私も観ました……けど、yさんと同じ感想です。ストーリーや演出以前の問題として、イッセー尾形・桃井かおりという超がつくほどの性格俳優ふたりを並べちゃったキャスティングが一番の失敗だったように思いました。や、上手い下手の話じゃなくて。あまりに個性的すぎて役柄が役者に追いついて来てないんですもん。
>yさん&コメント作さん<br><br>イッセー尾形は、監督の持つ昭和天皇イメージがああいう感じなんだろうなーという形で私には納得できたし違和感なかったんですが、そこに桃井かおりをしかもラストで並べられて同じような振る舞いをされると「え?」という感じでした。他のどの女優だったらしっくり来たかというと、誰も思い浮かばないんですけど……。
わたしはイッセー尾形が個人的に大好きなので昭和天皇を演じてどうのとは判断できないです…好きな故に。桃井かおりの代替としては、吉田日出子なんかどうかなと思いました。劇団系の女優だったらいいなー。
「皇后を誰が演じたら違和感ないんだろう」以前に、皇后のイメージを自分の中に持っていない自分に気付きました。なのでwikipediaに目を通してみました。<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B7%B3%E7%9A%87%E5%90%8E<br>うーん、「おおらかでおっとりとした円満な性格の持主であるといわれ」というところで、やっぱり桃井かおりではない気がします。<br>吉田日出子は恐らくCMか何かの影響で庶民的イメージがあるのですが、でもあの映像の中に入ってしかも女優さんならそこは軽くクリアできそうですね。