めくってめくって猫めくり(我輩はスコである。)・アレはどこだべさ!(気が付けばデブ猫)・邪魔です(おちこじんち。)・オットコ前と可愛い男の子(猫またぎ)
★ 「日本人がイタリアのレストランで遺した伝説」(痛いニュース)
「『カルボナーラ食べながらカプチーノ』は伝説に残るレベルでNG」と解説するサイトに2ちゃんねらーが猛反発。NGの理由は、「お寿司食べながらホットミルクを飲む感覚と近い」、と元記事にちゃんと書かれている。
「不漁のときに鯛の代替品として考案された」、富山のお祝いの場に欠かせないらしい飾りかまぼこ。知らない私から見ると楽しそう美味しそうだが、現地の人々は始末に苦労してゴミ箱に直行させたりもしてるとか。
珈琲味のどら焼き皮で珈琲ゼリーと生クリームを挟んだ和洋折衷菓子。近日発売予定だという、チーズ味のどら焼き皮でクリームチーズを挟んだ「ちいどら」も美味しそう。→日本のお菓子大集合 SHOPPING!「コーヒーゼリーどらやき」
居住空間の広さのみに因らず、草食動物は「食物をめぐる競争が激しくなく、また天敵がほとんどいない場合」に、肉食動物は「餌が不十分だったり、小さかったりした場合」に、小さく進化するという話。
★ 「低刺激性ねこ、新発売」(えるみれ)
世界初?の「アレルギー反応を引き起こす特有の糖蛋白質を持たない猫」。選んで育てただけで遺伝子組み替えは行っていないとの触れ込み。値段3,950ドル(46万円)は、人気品種の血統書付猫ならありそうな値段かと。
「本屋大賞」第2回受賞作品「夜のピクニック」(恩田陸)の映画化。「歩行祭」とは、恩田陸母校の水戸一高で実際に行われている行事らしい。「死のロングウォーク」?→「夜のピクニック」公式サイト
日記じゃないんだけど[日記読み]。出られないから仕方なくここにいるよ。経由で、第3章「私が上戸彩だったら…」という文章をまずいきなり読んだ。
好みのルックスとかは特になく、強いて言うなら自信のあるイケメンはイヤです。以前経験したんですが終電間際、私は帰れるんですが、その男は終電を逃して帰れない。さあ、どうするかとなったんです。そしたらその人、自分の都合で私と電車に乗って一緒に帰りたがったりして、挙げ句の果てにウチに泊まろうとしたんです。私に何の了承も得ずに勝手について来てですよ。「取りあえず泊めてくれる?」みたいな。私、ホントにハラが立っちゃって。「なんだコイツは?」ってなりますよ。「自分を受け入れてもらえる環境で育ったんだろうなあ」って。拒否される怖さを知らない人間をみると、憎しみが沸いてくるんですよ(笑)。
この「『自分を受け入れてもらえる環境で育ったんだろうなあ』って。拒否される怖さを知らない人間をみると、憎しみが沸いてくるんですよ(笑)」に、たっぷりの共感の中にごく僅か馴染まないモノを覚えて、これが一体誰のどんな文章なのか、上のフォルダを辿っていって確認した。フランス書院 On−Line内コンテンツ「今月の放言」に収録されている、小説「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の著者本谷有希子の放言・「私のことを好きなあなたが好き」の一部だとわかった。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は、サトエリ初の悪女挑戦映画の原作として話題になってた奴だなぁ、原作その内読みたいなぁ——と思いながら続きも読んでみた。
例えば、夜中に弁当屋とかに行ったときとかにボーッと思うんです。そこでは何歳だかわからないけどあまり社会に馴染めてなさそうな男の人が、私が頼んだ唐揚げ弁当とかを死んだ目で作ってくれたりしてる。そうすると「私がもし上戸彩とかで、好きですってこの人に告白したら喜んでくれるかなあ…」って考えちゃうんです。おいしい目にあってるイケメンより、幸せになればいいのにって。でも私が上戸彩じゃないばっかりに、現実は無言で弁当を受け取って帰るだけなんですが(笑)。
あれ? さっき感じた「たっぷりの共感の中にごく僅か馴染まないモノ」の「ごく僅か馴染まないモノ」の分量が増えた? 「おいしい目にあってるイケメンより、幸せになればいいのに」には100%同意なんだけど、「私がもし上戸彩とかで、好きですってこの人に告白したら喜んでくれるかなあ…」が私とは違った。私なら、もし私が上戸彩だとしてもなお、その男性に「好きです」と告白しようとは考えない。
まず、私が上戸彩だとしても、なおかつ私でもある以上、何処かの成分が私なのだから告白したって喜んでもらえないだろうという気持ちがある。次に、私が上戸彩だから告白したら喜んでもらえると思って告白したのに喜んでもらえなかったなら、私が私のままで私の好きな人に受け入れてもらいたくて告白して断られた時よりも、深く傷付くに違いないという気持ちがある。「つまんない相手に振られて自分のプライドが傷付けられた」とかではなく、「良かれと思ってした事がちっとも良くなくて誰も幸せにしないで相手も不快にさせて自分も哀しくなって自分がとっても馬鹿みたい」という感じ。
で、違和感の元を探ってみようと思って、前のページ(第2章「私を肯定してくれる人」)を遡って読んでみた。
私は、私がその人のことを好きであるということももちろん大事だけど、「私のことを好きなあなたが好き」って部分も恥ずかしながらあるんですよね。他人に「好きな男性のタイプは?」って聞かれたら「私のことが好きな人がタイプ」って答えるし。私は恋愛をする上で、相手が私のことを肯定してくれる部分をもっているということが、含まれてなきゃ駄目なんです。もちろん完全にイエスマンも嫌ですけどね。
これなんか私も完全に同じなのに、何が違っての違和感なんだろう。首を傾げつつもう一度最初のページ(第3章)に戻った。そして気付いた。この人は、「何の了承も得ずに勝手について来て」「『取りあえず泊めてくれる?』みたいな」「自信のあるイケメン」に、その場で腹を立てて恐らく拒絶とかができる人であり、そこが私と違うんだという事に。私だったら、その男の「拒否される怖さを知らなさ」に強い嫉妬を感じつつ、「でも自分が(宿泊場所提供者として)他人に必要とされてるのに断るなんてできないよなぁ」と思って宿を貸すだろう。
『腑抜けども〜』は私も読みたいと思っていました。<br><br>でも素光さん、宿を貸すのは危険ですよ!私なら「こんなイケメンなら自分が断っても誰かが泊めてくれるに違いない。そう思うことにしよう」と立ち去っていきますけど(笑)。必要とされていることへの気持ちは個人的には断ち切りがたい人間ではありますが…。
イケメンが私に宿を借りる時は本当に宿を借りたいだけだと思うので大丈夫です! だってイケメンですよ? 宿以外の目的があるなら私以外のところに行く筈です。それこそたくさんアテがあるでしょうし。私以外の所に行くと、泊まる以外の事も当然のように期待されちゃって多分大変なんですよイケメンは。<br>まぁ実際にこんな経験(イケメンに「取りあえず泊めてくれる?」と言われる)をした事ないので、全部想像というか妄想ですが。
リアル素光さんを存じ上げないので、素光さんの自己認識と客観的認識がどれほど整合性があるのかがちょっとわからないので困惑してしまいますが…いやぁ、なにせイケメンですからね、どんな行動にでるかわかりませんよ!イケメンではない私には想像外ですが。…深夜に失礼いたしました。