2005-03-02 ニュースいろいろ/「ネバーランド」 [長年日記]

[動物] 萌え猫画像/ロンドン塔とワタリガラス

萌え猫画像 拘り派の猫(Daily Yummy(3月2日付))・一本!(sugurimilk diary(3月2日付))・実は二人は。。。(花猫風月(3月2日付))・新しいネコボックスの使い心地はどうですか?今日の犬様 今日の猫姫(3月2日付))

「17世紀のロンドン塔伝説と都市カラス問題」(→関連:カラス研究室 ロンドン塔のワタリガラス

17世紀の君主チャールズによって「ロンドン塔には常に6羽のワタリガラスが住んでいなければならない」と宣言され、「ワタリガラスが去るときロンドン塔は崩れ王室も倒れる」との伝説まであるというその6羽のワタリガラスが、増えた都市ガラスに餌を盗まれ病気を蔓延させられて危機に瀕している、との記事。

この記事だけでは状況がよくわからないので、詳しい説明を求めて見つけたのが関連リンク先。当初ワタリガラスは邪魔物扱いされていて王の命令で退治される寸前に占い師のお告げで救われた・英国ではアーサー王の伝説絡みで「ワタリガラスを殺すと不吉な事が起こる」と信じられている・現在ロンドン塔で飼われているワタリガラスは羽を切られている、等の細かい記述がある。しかしこちらでは、ロンドン塔で飼われているワタリガラスの数が5羽となっている。

[医療・健康] 精子無力症は蛋白質セプチン欠乏による鞭毛の異常

[その他] 神奈川県が残虐ゲームを有害図書認定/任天堂DSに新色4つ追加/“vipper.info”

「残虐ゲームを有害図書指定 神奈川県が全国初」

青少年保護育成条例等に基づき、殺人や暴力などを美化した描写を「有害」と定義、この有害な描写を含む家庭用ゲームソフトを、18歳未満への販売を禁じる対象に含める方針との事。

「殺人や暴力などを美化した描写」が具体的に何を指しているのかが私には掴めない。殺人賛美・暴力賛美を指すのならばわかる。がしかし、例えば以前「流血の描写が生々しすぎる」との理由で血飛沫を赤から緑に色を変えたゲームがあったが、そういった「配慮」も「美化した描写」と言い換えられてしまうように思える。

「ニンテンドー DS本体の新カラー発表! 黒・白・ピンク・ブルーの4色が追加!」

年末に買ってもらったは良いが遊びたいソフトがなく、FFTアドバンス(名前の通りDSソフトじゃなくてアドバンスソフト)を刺したままのDS。こんなにすぐに別カラーが出てしまうなんて、複雑な心境である。私の手先が器用だったら、グラファイトブラックかキャンディピンクに近い色に自力で塗ってしまうところなのだけど。

vipper.infoかーずSP(3月2日付)より)

VIPPERと言えば、自ニュFで荒らし認定を受けてアク禁を食らった人の仲間というイメージが私の中で固まりかけている今日この頃であるが、誕生の経緯を読む限りでは「旧snog自アンで言うところの『はしゃぎ過ぎ』な人達が新天地で頑張りまくって1つのコミュニティを築き上げるに至った」ような感じであるらしい。

[映画] ネバーランド(主演:ジョニー・デップ/監督:マーク・フォスター)

公式サイト

ジョニー・デップが実際に着ていた衣装らしい新作の初日公演が予想していた通り失敗に終わった失意の劇作家ジェームズ・バリは、翌日散歩に出かけた公園で未亡人シルヴィアとその子供達4人兄弟と出会う。ごっこ遊びに興じる兄弟達の中で1人だけ空想の世界を拒む三男ピーターに、他の兄弟達にも増して興味を抱くジェームズ。ジェームズはその後も彼等と親交を深め、彼等との交流の日々はやがて「ピーター・パン」という傑作劇を生み出すに至った。

「ピーター・パン」原作者とその周辺の物語だが、たとえ実話を忠実に拾っていたとしてもこれは「伝記」ではなく「夢物語」である、と思った。ジェームズと少年達が空想を糧に生活する様は、ジェームズ達を取り巻く現実からジェームズ語る空想への鮮やかな跳躍シーンを多々交え、実に生き生きと描かれている。その一方ジェームズをネタに囁かれる醜聞については、その存在に触れる程度で留まっており、少年達との交流と比べて明らかに軽く扱われている。これを私は「結婚生活の破綻という人生の暗部を本質的な問題としないジェームズの生き様を現している」と解釈した。ジョニー・デップは演じる役によって様々な個性を発揮するが、今回の役ではこざっぱりした身なりと端正なマスクに透明感を漂わせ、少年の心を持つ作家に成り切っているようでとても良かった。

ジェームズ以外の人物では、「ピーター・パン」の名前の由来ともなったほどにジェームズのお気に入りであった三男ピーターが、作品的には大きな位置を占めているかと思われる。彼が空想の世界を拒絶するのは、一刻も早く大人になって哀しみを乗り越える為であるらしい。そうは言いながらもジェームズの贈った革装丁のノートに釣られて物語を綴り始めている辺り、彼はいわゆる「ツンデレ」なのだろうなーと思いつつ、彼の「空想の許容と拒絶との揺らぎ周期&間隔」が掴めなくて感情移入できなかった。私にとってはピーターよりも、弟達・ジェームズ・そして母親を守る為に一瞬にして「大人」になった長男のほうが、感情移入の対象となるキャラであった。

ところでこの作品では、女性は総じて哀しい扱いを受けている。ジェームズの妻は前述の通り夫に気にかけてもらえずに破局を迎え、シルヴィアの母親はシルヴィアや子供達を守ろうとする彼女なりの親心が歓迎されず、シルヴィアは子供達の愛情とジェームズの友情を一心に受けながらも到底幸福な身の上とは言えない。これが一体何を意味するのか、この作品が「少年の美学」といったものを扱うが為に「大人の女」達がまとめて割を食っているのか・この時代の女性全般がある種の日陰的存在だったのか・偶々作家バリの周辺にいる女性達が不幸だったに過ぎないのか・それとも「この作品では女性は総じて哀しい扱いを受けている」からして私の妄想なのか。

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