2004-12-11 じゃがいもと人参の豆乳煮カレー風味/ニュースいろいろ/鬼が笑う「占いナビ」2005年 [長年日記]

[ダメ料理]じゃがいもと人参の豆乳煮カレー風味

今日はレシピも何もない、料理とは呼べない食料(自分用餌)を作って楽しみたい気分。お腹が空いたので、とりあえず豊富に備蓄してあるじゃがいもと人参に火を通して食べる事にした。

当初は茹でて味の素とマヨネーズでシンプルに食べる予定だったが、材料を切って鍋に入れて火にかけた時点で、少し変わった事をしたくなった。豆乳とブイヨンを足して、でもって仕上がりにバターを落としてみたりしたらどうだろう。

しかし、材料がすっかり煮えた頃には、バターを落とすという思いつきはごくありきたりのものとして色褪せてしまっていた。バターなんかじゃ面白くない。何か面白い事がしたい。自分の内に湧き上がる不思議な衝動に駆られて台所を眺め回す私の目に映ったのは、カレー粉。……これだ!

カレー粉を加え、クレイジー・ソルトで味を調えた豆乳煮のじゃがいも&人参。どんな珍妙な味に仕上がっているだろうか、どんな変な味でも製造者責任できっちり食べきるぞ!と張り切って味見をしたら、これが思いの外美味しくて驚いた。豆乳にカレー味があうとは知らなかった。偶然の産物だが、これは今後のレパートリーに加える事にしよう。

味に問題はなかったが、量には支障があった。材料を切る段階でたがが外れていたらしく、気がつけば鍋にいっぱいのじゃがいもと人参を煮込んでしまっていた。せっせとお代わりをして食べた。おなかがはち切れそうになったので横になって休んだ。ひと眠りしたら小腹が空いたのでまたお代わりした。そしてとうとう鍋は空になった。

こんな風に過ごす休日を淋しいとは全然思わないが、こんな休日を淋しいと思わない自分は淋しいかもしれない、と思った。

[動物]萌え猫画像/野良猫の墓石は4000万円の中世彫刻/NY名物「ペール・メール」の巣撤去に批判の声/カラス科の鳥はチンパンジー並の知能

 萌え猫画像 ぶぇっくしょん!(ネコぢルシ(12月11日付))

 「野良猫の墓石は4000万円のお宝だった」(世界びっくりニュース(12月11日付))

死んだ元野良猫(名前はウィンクル)の墓石に使われていた石が、実は中サクソン時代の彫刻と判明、オークションにて20万ポンド(約4000万円?)で落札された、との記事。墓石を取り上げられた猫は気の毒だと思いきや、墓石を中世の彫刻と見抜いた人物は陶芸家であり、彼が手ずから墓石の代わりになるものを創ってくれるんだそうである。この気配りがあって、良い話になっている。

 「NYの名物鳥、『ペール・メール』の巣撤去、批判招き」sea of tranquility(12月10日付)より)

マンハッタンのアパートの下に10年以上かけられていたというアカオノスリ「ペール・メール」の巣が、撤去されてしまったとの記事。ビル管理の為の措置、恐らくは糞の被害に対する苦情を受けての撤去だったと見られているそうである。

ところで記事内にある、「巣に卵や雛がいなければ、巣を勝手に撤去しても違法ではない」というくだりは興味深い。巣がなければ、卵も雛も産まれないのに。

[その他]5割の女性が飲食店トイレで携帯orメールチェック

 「女性の飲食店トイレ利用法 メールか電話5割 うがい、歯磨き半数」sea of tranquility(12月10日付)より)

化粧直しや歯磨きといった身だしなみのみならず、メールや電話をもトイレで行うのは、女性の奥床しさというモノの発揮だろうか。例えば電車の中で化粧をして批判されるのは、その奥床しさとやらが欠けているせいなのだろう。しかし私個人は、個室や鏡が充分に設置されている飲食店でもない限り、「トイレ以外の用事で場所を塞がれると迷惑」と思う性質である。精神的な部分優先のいわゆる精神主義を受け入れられないだけで、現実的な部分(トイレは排泄の場としての利用が優先される)が満たされた上なら、奥床しさも結構だと思うし否定はしない。

[占い・診断]鬼が笑う「占いナビ」2005年

sea of tranquility(12月9日付)より。昨年(2003年12月30日付)に引き続いての利用である。ちなみに昨年の占い結果はあまり的中していた気がしないのだが、私にとって占いや診断は助言を求める為にするものではなく、自分の知らない自分像(現在・未来)が映し出される面白さを得る為のものなので、当たっていなかろうがそれで価値を下げるものではない。

今年は現実社会での人生ドライブ(旅)より、心の世界のドライブの方が距離が伸びそうです。考えることが多くなり、新たな人生ハイウェイ軌道に乗るための地図上の計画検討の比重が大。旅はそれを計画する時点で始まります。計画と準備に忙しい1年。悩んで落ち込むのではなく、しっかりと計画を練るためにこそ考え悩んで下さい。
自身で考えねばならない案件が意識下からも押し寄せ、一度には考えがまとまらずナーバスにもなりますが、あなたが狙う目標の数々は、あなたの準備が整うのを待っているのです。思索エネルギーのピーク。哲学や宗教への関心が高まる時期。今年ほど心のハンドルさばきが大切な1年はありません。

行動ではなく思索の時期、といったところか。面倒臭がりな私はいつだって行動を起こさず、ただああでもないこうでもないと考えるばかりなので、来年に限らず万年思索の時期とも言える。

では仕事街道や転職交差点のナビから。今年は引き立てに恵まれながら華やかな舞台へ出ていく年ではなく、転職もかんばしからず。でも、現実社会でのチャンスや忙しさばかりが毎年続いたとしたら、いつかは疲れ果て、より良い自分を打ち出していく材料は枯渇します。自身を見つめ直し、今後さらにどのように成長・発展していくべきかを考え、必要な準備をするために今年があります。自分を高める勉学研究は大いに結構。自分自身を自覚し進路を改めて模索。自分を磨き、より魅力的になるための好機です。精神エネルギーのピークなればこそ、意義ある方向に「考え悩む」ことが大切。考え悩むことと落ち込むことは別のこと。混同しては損です。

「今年は引き立てに恵まれながら華やかな舞台へ出ていく年ではなく」って、昨年も言われたような気がするが、華やかな舞台だなんて面倒臭いだけだからかえって助かる。「自分を高める勉学研究は大いに結構」は悪くないが、自分が何をしたいのかをここ数年以上見失っており、勉学研究する対象が定まらない。

人間関係の交差点、恋愛交差点のナビ。「時」との関係性を人間関係と同様に捉えれば、周囲の人や物事すべてに対して感性を研ぎ澄ませて再認識・再確認してみる意義が出てきます。その一環として周囲の人々との関係を見直して下さい。周りの人々に対して、今のあなたがしてあげられることは何ですか?将来の発展、華やかな未来を思うなら、自分の世界に閉じこもらず、この機会に協調体制の見直しも大切。

「『時』との関係性を〜」の一文の意味が把握できない。その後の、「周囲の人にいろいろ何かしてあげなさい」というのは理解したし、努力してみるのも悪くない。

恋愛交差点では少し情緒不安定気味?今の恋人や婚約者に突然に嫌気がさして他の人に乗り換えようとしたり、二股かけようとしたり…そんな気持ちになったら注意信号。相手を変えるだけで済む問題ではないはず。どうも相手へ過度の要求をしてしまいがち。

相手のいない人、華やかな出逢いパーキングに出かける前に、より愛される自分へ、より社会的に貢献できる自分へのステップアップが先。結局近道。お付き合いの表面的な華やかさよりも心の絆を深めることに重点をおくのが今年らしい恋愛のあり方。人間関係や恋愛交差点での出来事の1つ1つは周囲への気配りを怠らず、明るく振る舞うことで、まるで違ったものになってくるはずです。

これも、昨年と同じような事を言われている。仕事も恋も、昨年と変わり映えしない1年なんだろうか。それとも昨年に今年の分を占う筈が、間違って来年の分を占ってしまったんだろうか。

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