昨日書いた「馳氏への理論的&感情的な反論」を、上山達郎氏のそれはただの気分さにリンクして頂いた。
「馳星周はベストセラー作家だから……」という私の言葉は、馳氏の文章の大意を理解した上での「もっと上手い言い方はできないのか」という苦言のつもりだった。懐具合と相談しながら複数の手段を用いて本を読む読者&私のような底辺ジャンルファンの読者に対して、「わたしは同年代のサラリーマンの数倍の年収を稼いでいる。だが、それで大金持ちになれたわけではないし、死ぬまで保証された権利でもない」なんて神経逆撫で風味の言わずもがな的な事を書かずに、出版業界の苦況を伝える事はできないのかと。結局の処は、「言い方が悪い」というお決まり?のフレーズに繋がってしまう。
「言い方が悪い」という意見は、表面上の反感を潜り抜けて文章の真意に辿り着いた者が発する、「せっかくの真意が大勢の人に伝わり損ねかねない」事への危惧の言葉と私は認識している。「何割かの人の誤読は計算の上、敢えて挑発的ともとれる表現を用いて大勢の目に触れさせたい」と書き手が意図した可能性を当然考慮した上で、相手が個人サイトの管理人であれば「もったいない」という意図でのみ呟くこの言葉も、プロの作家に対しては「技量が足りない」という意味をも上乗せせざるを得ない。
で、今回の趣旨は、言い訳でも「言い方が悪い」の再主張でもなかったりする。上山氏の4月5日の記述に「サイト間で議論が生じる時に私が感じる印象として、論の対象となっているキーワードだけが飛び交い、そのキーワードが置かれた文脈を理解しているとは必ずしも言い難い状況が生まれるように感じられる。」というくだりがあった。そこを読んだ時に、「議論の当事者達は大意を理解した上で、キーワードから発展させた自分語りをしたり、『そのキーワードの使用が妥当か』を論じたりしていて、一部の傍観者だけが『大意を理解せずキーワードのみに気を取られている』と解釈している可能性もまたあるのでは?」というような事を思った。今回私は、馳氏の主張の大意を理解したからこそ「むしろ古本屋から利益を還元してもらえば?」と提言し、その上で年収云々のキーワードに敢えて引っかかってみた。上山氏は、私の主張の大意を理解した上で、「ベストセラー作家」というキーワードに敢えて引っかかったのだろうか? もしそうであるのなら嬉しい。大意の理解とは別次元の、そこからはみ出した各個人のこだわりを聞くのが私はとても大好きだから。でも「いいや、おまえはそもそも文脈を全然理解していない」と断言されたら、ただ悄然とうなだれるしかないのだけど。
「理系ミステリ」の第一人者と言えば森博嗣が挙げられるが、この東野作品もまた、作風は異なるものの同じジャンルである。佐野史郎の解説文によれば、主人公湯川助教授は彼のイメージで書かれたらしい。私も彼を頭に思い浮かべつつ読んだ。
全5篇読み終わった。感想を幾つかピックアップ。