2002-09-15 わんにゃんWORLD2002/「夢」〜降雪マンション/青蛙/大岡川/強い母から男児/ヤモリから接着剤/レオパレス/9月11日#2 [長年日記]

わんにゃんWORLD2002

以前日記で紹介した、「わんにゃんWORLD2002」に行ってきた。会場には鎖に繋がれた触り放題の犬と、柵の中に入った触り放題の犬、そしてゲージの中に入った触りづらい猫がいた。愛猫家にはちょっとした差別である。しかし私は犬も好きなので、犬をたっぷり触りまくったから何の問題もないのだった。人ごみに疲れたのか始終床に横たわったままの犬を撫でまくりながら、猫の柔らかい毛並みももちろん良いけれど、犬のごわごわした硬い毛も良いなあと思った。

会場内では幸せ一杯だった私であるが、その後はあまり良くなかった。コージーコーナーでマロンシャンテリーを食べたら、やや空きっ腹気味だった為か生クリームに胃をやられ。気分直しにゲーセンに行ったら、元々たいして巧くない「マジカルドロップ3」の腕が更に落ちていてガックリ。胃の調子も落ち着いたので気を取り直してご飯を食べに行こうとしたら、近場で行われていたらしいイベント(最遊記関連?)帰りのお嬢さん達でどの店もいっぱい。それでも何とか食べ物にありついて着いた帰途は、乗車時間が長く・途中舞浜で通勤電車並の混雑になり・東京駅での乗換が壮絶に煩わしい京葉線に苦労させられるのだった。

【夢】

山の上に建つ高層マンションに住んでいる。
ベランダから、頂上に雪の積もった山が見える。
気付くと、ベランダに立つ自分の周囲にも粉雪が降っている。
そうか、私の住む場所はあの山の頂上と同じ気候なのだなと納得。
でも、こんな初秋から雪に見舞われるなんて話をしても、
会社の人達は笑うだけで信じてくれやしないだろうなーとか、
これから毎日雪かきが大変だなー等と考える。

窓を開けたまま寝ていたので、外気の涼しさからこんな夢を見たと思われる。わかりやす過ぎ。それにしても急に涼しくなった。

青いアマガエル

「龍神村東で真っ青のアマガエル」という記事(イシダ企画(9月15日付)より・トップページはこちら)。

「黄色が欠乏した色彩変異個体。逆に青色が欠乏すれば黄金色になる」という事らしい。私は黄金色のアマガエルを見た(というか捕まえて手の上に乗せた)事がある。こちらも、青色蛙に負けず劣らず綺麗だった。

タマちゃん大岡川に

「<タマちゃん>再び姿を見せる 今度は横浜市南区の大岡川」という記事。

多摩川→鶴見川→帷子川と順に南に下った次は大岡川だろう、と冗談半分で話していたら、実際にその通りでびっくりした。ちなみにこの大岡川沿いには、かの有名な伊勢佐木町や黄金町がある。

タマちゃん関連で、「『タマちゃん』の先輩、剥製の『ナカちゃん』に脚光」という記事にもリンク(blogmapより)。1986年に捕獲されたアゴヒゲアザラシだそうである。当時はどの程度話題になったのかが知りたいと思った。

強い母から男児が生まれる

「『強い』女性は、男の子を産む確率が高い!?」という記事(blogmap)より。

仕事をバリバリこなすような女性が体内で男性ホルモンを多く分泌する、という話なら知っている。極端な例では声が低くなったり体毛が濃くなったりもするのだとか。しかし、男性ホルモンの影響で「子供ができにくい」と聞いた事はあっても、「男の子が産まれやすい」というのは初耳である。記事内で紹介されている実験は、ホルモンバランスのチェックではなくて心理学的な検査のようなのだけど……。

ヤモリから新型接着剤

「生物工学:新型接着剤の原型はヤモリの足裏」という記事(俺ニュース(9月15日付)より)。

先日日記に書いた「ヤモリと分子間力」に関連する話題である。ヤモリの足の裏と同じ原理の、「強力で、耐水性があり、しかも何度も使える接着剤」がもうすぐ実用化されるとの事。今までにも「繰り返し使える接着剤」はあったけれど(ポストイット等)、実際には汚れがつくと粘着力が落ちて終わりだった。新しい接着剤は、実際に半永久的に使えるものなんだろうか? 意味もなく楽しみである。

レオパレス

「レオパレス21、光回線でビデオ供給」という記事(俺ニュース(9月14日付)より)。

そう言えば私はレオパレスに住んでいたのだった。しかし諸事情により、ビデオ&常時接続という恩恵をいつ被る事になるかはよくわからないのだった。

9月11日#2

we die young.(9月12日付・15日付)を読んで(トップページはこちら)。

要約すれば、「何一つ被害を被っていない立場の癖に、被害者面で事件について言及するのを止めろ!」という事になるだろうか。吉田氏が糾弾するような、被害者的立場で書かれた日記がどれだけあったかは知らないが、私は最もな意見だと感じた。肉親・知人を亡くした実際の遺族がいる可能性を考慮しないのは少し無神経かも、と思わなくもなかったけど、その辺はあくまでも「重箱の隅つつき」でしかない。

しかし私は、「日本人あるいは日本の政府は関わるべきではない」という吉田氏の結論には賛成できない。例えば彼が日記中で書いている「テロを認めることはできないが、空爆も認めることはできない」という意見は、被害者的立場ではなく傍観者的立場から、敢えて書く必要があるものだと私は考える。何も言わず何も関わらないのでは、日本及び日本人は、いつしか加害者・被害者の立場に立つ事になりかねなくはないだろうか? かと言って各個人がWeb日記に何か書いたところで、実際に何かがどうにかなる訳でもないんだけどねー。脱力。

……と、お昼までにここまでをメモ書きしておいたのだけど、深夜になって再び該当日記にアクセスしてみたら、何だか思いもよらない展開になっていてびっくりした。

ここからは完全な余談。「苦痛なく死なせてもらえる」という条件さえ得られれば、3千人の代わりに命を投げ打っても良いと私は考える。だって死んじゃうんだよ? 死んだら終わりだよ? 「あの時身代わりなんて引き受けなければ良かった……」なんて後悔する事は絶対あり得ないのだから。でもそんな条件を神から提示される事態はあり得ないからこそ、人は自分の人生を自分の責任で生きなければならない。