都内のビルの中で働いていた。上司達は昼食に出て不在、広い室内に、私と派遣社員十数名だけがいた。最初はいつも通り、面した道路を大型トラックが通って、古いビルをぐらつかせているのだと思っていた。しかしその揺れは、みるみると激しさを増し、平衡感覚を覚束なくさせるに至った。危険を感じた私は、派遣社員達に、机の下へ潜るよう指示した。大袈裟な指示に対するクスクス笑いは、数瞬後に小さな悲鳴に変わった。私も机の下に潜った。天井の蛍光灯が外れて割れて身体を傷つける想像をし、ビルの窓のガラスが外れて割れて身体を傷付ける想像もし、机の下からもビルからも出まいと考えていた。ビル内に飲食店がないので、出火の危険性は低いとも考えていた。下っ端の身分に甘えて、ビル内の避難経路を把握していない己を酷く悔やんでいた。派遣会社からお預かりした派遣社員が今怪我をしたら、私の責任であり、派遣社員と派遣会社と自分の会社にどう補償をする展開になるか考えていた。その辺で頭がいっぱいで、退路の確保は忘れていた。
大きな揺れを無事やり過ごした後、どうしたものか途方に暮れた。とりあえず仕事をし、させた。少しして上司達が帰社したが、特別な指示が出されなかったので、そのまま仕事を続けた。ビルから見下ろす道路を、大勢の人達がぞろぞろ歩いていた。「電車が軒並み止まっているらしいのに、あの人達は何処へ向かうつもりだろう?」等と考えていた。地震による東北地方の被害状況(巨大津波)、都内の被害状況(火災や死亡事故)を聞いたが、眼下の人の流れ同様に、実感を伴わなかった。普通に定時まで仕事をし、させた。
定時になったが、仕事が片付かないので、残業に突入した。どうせ電車が動いていないなら、時間はたっぷりあると考えた。派遣社員の内の数人が、「電車が動いておらず帰れない」と言うので、そのまま働いてもらった。帰宅した内の数人も、「電車に乗れず帰れない」と戻ってきたので、再び働いてもらったり、休憩室で待機してもらったりした。残務が少しずつ片付くにつれ、空腹を覚えたが、ビルのエレベータが止まっているので外に出たくなかった。正確には、階段降りて外に出るだけならまだしも、階段登って自フロアに戻りたくなかった。他の人達が、皆の分として菓子類を幾らか買ってきてくれた。ありがたく頂いた。
終わらないかと思われていた残業が終わりを見せ始め、今日という一日だけが終わらないものと思い始めていたところへ、友人から連絡を受けた。全く繋がらない電話やメールではなく、安定しているネット回線を通じた、mixiメッセージによる連絡であった。友人は定時に勤務先を出発し、家目掛けて歩いており、そろそろ私の職場付近までやってくるという。ならば私も夜通し歩いて家に帰ろうと思い直し、職場を後にして友人と合流し、大きな道路沿いを大勢と一緒にぞろぞろと歩いた。車道にみっしりと詰まった車が人の歩みよりも遅々として進まない様相は、長い距離でも歩く意義を感じさせた。時折、「歩き煙草や自転車の運転が、日常的なマナーから逸脱している」輩(判で押したように若年男性)と遭遇した。建物の倒壊や津波の襲来を受けてもいない状況で、あっさり非日常へと踏み越えた風の彼等を、気の毒かつ恐ろしく感じた。
道程の半分ぐらいを歩き、某巨大ターミナル駅に着いた頃合いで、各社路線がボチボチと運転を再開し始めた。駅の外まで長蛇の列を為す某路線を避け、何故か普段と変わりない乗車率の某路線を利用して、自宅最寄り駅まで帰った。最寄り駅に着くと、遅い時間にも関わらずバスが出ていた。心遣いに感謝して、バスに乗り足を休めた。バスを降りて見渡した近所の光景は、日常のままであった。安全な我が家にようやく帰り着いた手応えを得、すっかり安堵して家路を歩いた。家のドアに手をかけた時には、笑みが浮かんでいたと思う。手をかけたドアの異様な手応えを感じ、笑みを消した。力を込めてドアを押し開けると、玄関先から室内にかけて床一面に、陶器とガラスの破片が散らばっていた。頭上の棚に置いていた重量系の食器が、その下に置いていたグラス類を巻き込んで、落下し尽くしたものらしかった。他に方法も無く、靴のまま室内に上がり、今度は床一面に散乱している本を避けながら進み、ベッドに入りとりあえずは寝た。
「なんだコレ?」「なんだろね?」自転車の黒いアレが気になって仕方がない猫さん達&三色猫丼 大盛り(以上2点、ねこメモ)/毎晩10時を過ぎると、二階の窓際に光るものが表れる(※テキスト※/ねこメモ)