ネット上で話題に上がるいろいろなblog論を目にしては、技術のベクトルに納得する反面で、根本的な部分に馴染めないものを感じていた。「だって私はweb日記だもの」「だって私は日常雑記系だもの」という理由だけでは、世の中に「エッセイ」なるものが長きに渡って存在している以上、説明しきれていなかった。
最近、少なくとも自分自身では腑に落ちる喩えを発見した。いわば私は、カラオケがしだいだけなのである。自分発でも他人発でも関係なく、自分が気に入ったメロディーや歌詞を反芻して愉しみたいだけなのである。で、「私は最近こんな歌が好き!」というのを主張したいから、人前で歌うし、人前で歌うからにはできるだけうまく歌いたい。しかし、人様にうまい歌を聞かせるのが目的じゃないし、ましてや素敵な歌を作曲したい訳でもない。
この喩え、やっぱり私1人にしか理解できないか……?
天かす夫はテゴワイ。(1ピキと2人)・毎日ぽかぽかで(はせべのお気楽猫たち)・途中経過。(烏森口の女王)・閉店中&おねむきょうだい(以上2点、世界はニャーでできている。-なでしこ館-)/うその餅とうそ笛。(耳折れ兄弟/教官不定期日誌より)
アルゴ、かわいや、ほーやれほー♪(ノラちゃんのギリシャ!)・陶酔(フクロテナガザル/動物園写真館 別館)・87-3(ホッキョクグマ)&雪の中のジェイ・きな(シンリンオオカミ)(以上2点、動物園始めました。)/ 「偶然映ってしまったアザラシの憎めない写真」(かちびと.net)/ 「ほーら触ってごらーん?」(熊/ぱるぷんてにゅーす/ポ☆ニューより)/ 「赤ちゃんゾウ、ほ乳瓶のミルクで育つ ドイツ・ヘラブルン動物園」(AFPBB News)・「迷い子アザラシ、ホッケの切り身食べた」(読売新聞)・「ドイツ村の木登りヤギ」(デイリーポータルZ)/YouTube“Celeste Boursier-Mougenot at Barbican Centre, London”/エルエルより)
「鳥小屋の中にエレキギターを設置して、そして鳥さん達に弾いてもらうっと言う作品」。実際に、割と活発に演奏している。小鳥の無駄な動きを拾って音楽に転化する発想が素敵。<“Celeste Boursier-Mougenot at Barbican Centre, London”