夏の雨は、割と嫌いじゃない。濡れても冷たくないし、すぐ乾く。むしろ、傘のほうが邪魔臭い。余程大粒の豪雨でもなければ、傘を差さずに濡れて歩く。
しかし今夏の「ゲリラ豪雨」は、戯れに濡れてる場合じゃない凄まじい雨量と頻度で、雨嫌いじゃない私でさえ閉口した。とりわけ、久々の長時間残業が終わってようやく帰れる矢先の襲撃と、ごく稀な休日出勤で出勤時間より短い勤務時間が終わって速やかに帰れる矢先の襲撃で、大いに凹んだ。
あんな切なさは金輪際御免――という事で、職場PCのブラウザお気に入りに、「東京アメッシュ」と「東京電力 雨量情報」を登録した。朝、出勤前に家で天気予報を見ておいて、午後以降に雨の予報が出ている日には、午後の仕事の合間に東京アメッシュと雨量情報とをチェックする。雨雲の動きと大きさと雨量、雷鳴の場所と時間と頻度も合わせて、定時後速やかに帰るか敢えて多少残業するか、仕事帰りに寄り道するにも方向をどちらに定めるか、判断する材料とする。
ここまで万全に備えた上で、その備えをなお掻い潜るような奇襲豪雨が訪れた場合には、それは最早私には歯が立たない相手なのだから、潔く濡れて帰る覚悟ができている。しかし、仕事上のミス対策もそうだけど、こうやって準備を固めた途端に何の問題も発生しなくなるのが世の常。問題が発生しない事は本来喜ぶべき事の筈なのに、対策にかけた手間が無になるのを惜しむ余り、つい問題の再発を願ってしまう。ゲリラ豪雨なんて、出くわさないで済むなら清々する筈なのに、拍子抜けして気持ちが空回りして、淋しいような気分になってしまう。いわば、ゲリラ豪雨に“擬似ツンデレ”。
ここで注意したいのは、このツンデレめいた気持ちは「対策にかけた手間が無になるのを惜しむ余り」の「淋しいような気分」に過ぎず、ゲリラ豪雨本体には欠片も好意を抱いていない、というところ。しかし自分に自信が無さ過ぎると、自分の気持ちをとらえ損ね、「『対策にかけた手間が無になるのを惜しむ余り』の『淋しいような気分』だなんて、自分への言い訳に過ぎない」と思い込み、「自分はゲリラ豪雨に好意を抱いている」と勘違いして、一人勝手にゲリラ豪雨への恋に落ちかねない。ゆめゆめ、注意を怠らないようにしていきたい。
アライグマ 玄関マットのようです(動物園写真館)