電車に乗っていると、「腕を回して彼女を周囲の混雑からガッチリガードする頼もしい彼氏&護られる彼女」のカップルを、時折見かける。存在自体には「ふーん」程度の感慨しか抱かないが、彼氏のガッチリガードアームが自分の身体に押し当てられると、話が違ってくる。通常存在しない位置で存在しない角度の腕が存在する事が、非常に邪魔ったるしく感じられて、気持ちがザワついてくる。こういう時は、心の中で深呼吸数回、穏やかな気持ちを呼び起こしながら、自分で自分を説き伏せる。
――電車が混んでいるのは、間違いなくこのカップル達のせいではない。
――時間帯と服装から見るに勤め人である可能性の著しく高い彼等がこの電車に乗り合わせているのも、十中八九彼等のせいではない。
――混んだ電車に乗る人の吊革や手すりに掴まって踏ん張る腕が邪魔ったるしいのは、骨折の危険が迫る等余程の事情でもない限り、お互い様で片付けるべきである。
――混んでいる電車に乗った人が自分の身体を庇う腕が邪魔ったるしいのも、同じく余程の事がない限りお互い様で片付けるべきである。
――で、あるならば、カップル彼氏ガッチリガードアームは、まず彼等を個別の人間でなく一つの個体と見なし、「混んだ電車に乗る人が自分自身の身体を庇う腕」と定義付け、「お互い様で片付ける」のがよろしいであろう。
毎回必ずこの境地に達せるとは限らないのだが(人間だもの)、とりあえず自分の内に理屈は構築できているので、あとは実際に気持ちが切り替えられるよう日々精進あるのみである。ところが、この理屈に落とし込めないパターンにも時折遭遇し、それが非常に厄介である。具体的には、カップル彼氏ガッチリガードアームの手の甲辺りが、こちらの背中や二の腕等に非常に近接しているパターンである。
断っておくが、少なくとも私に限っては、混雑が理由で手の甲やいっそ手のひらもが、自分の胸や腰に当たってしまう状況には、特に腹を立てたりしない。年増デブサイクを好き好んで触る輩は、例外的存在に過ぎない。万が一、本当に好き好んで年増デブサイクを触るのだとしたら、それは哀れ過ぎる。「着衣の上から触れられれば満足」というなら、あまりにも可哀想だから何も言わないでおく。「着衣の下から触れよう」というなら、幾ら可哀想でもさすがに目に余るので、自力かつ無言で阻止をする。
カップル彼氏ガッチリガードアームの手の甲接触は、上記とは事情が異なる。「自分の愛しい大切な彼女を護る為ならば、他のどうでもいい女など心底どうでもいい!!」の究極的などうでもいい扱いを、到底容認しかねるというだけでは終わらない。もしも本当に接触しようものならば、「俺達私達何処からどうみてもれっきとしたカップルなのに、何この欲求不満女は薄汚い肉体を押し付けて俺達私達に割り込もうとしてくるの? 生きてて恥ずかしくないの? 今すぐこの場で死なないの?」と、カップルの男女両方から冷たい視線と嘲笑とを浴びせられかねないのが恐ろしい。被害者の立場の筈が、一転して恥知らずな加害者に代わる様は、まるで手にしていた帆掛け舟の帆が、目を閉じた一瞬で舳先に摩り替わるかの如き、鮮やかな虚しさ。