ミケ蘭さんのジャンプ!(The Greek Cats)・籠城。(烏森口の女王)・来客さん&また来客サービス&そろそろ衣替え(しじみ日記)/ねこ袋(もずくのきもち)・静かな夜のネコたち(うちにゃん@レオっち)・尻フェチ(ほんのりにゃんこ生活)・荒川区のねこ(だから東京が好き!街のねこたち)(以上4点、猫式訓練所より)/YouTube“Tickle Me Elmo gets more than he bargained for.”(cat@logより)
くすぐりエルモを延々くすぐり続ける猫。くすぐりの実態が、最初は「おっぱいもみもみ」だと思ったんだが、その後には「発情の代償行動」に見えた。猫もエルモも切ない。<“Tickle Me Elmo gets more than he bargained for.”
「中国のパンダちゃん」(エルエル)/YouTube“Jerry needs no help playing with his ball.”(エルエルより)
ピッチングマシーンに自分でボールをセットして一人遊びするダックスフント。機械相手でもわくわく振り回す尻尾が切な可愛い。あと、機械なので、不慮の事故がありませんよう。<“Jerry needs no help playing with his ball.”
★ 「中川翔子:『エイリアンは絶対いる』と断言 宇宙生命探る企画展の応援団長に」(毎日新聞)
「SF小説や魔女裁判の記録から、人々がエイリアンを想像する背景を分析したり、過酷な環境で生きる深海生物から宇宙生物の存在可能性を探る」等。開催場所がお台場で期間が6/16迄なのが、個人的に厳しい。→日本科学未来館「エイリアン展」
「自分の人生から陰口を排除する」(趣味のWebデザイン)を読んで。部分的に賛同できるところがあったものの、全体的には賛同できかねる内容だったので、そこら辺を事細かく書き出しつつ考えつつ、してみた。
自分の人生から陰口を排除する……幾度となく挫折していますが、数年前から私なりに繰り返し挑戦中です。マイルールは次の2項目。
1. 同意できない陰口に賛意を示さない
第1項、陰口の場ではしばしば、不鮮明な立場が排除されます。私はこれまでに何度も、ただ陰口に乗らないためだけに、全体としては気に入らない様々な人やものを弁護してきました。
「同意できない陰口に賛意を示さない」までは、私でも実践可能。実際に今までのところ、「ただ陰口に乗らない為だけに、全体としては気に入らない様々な人やものを弁護して」きてもいる。
しかしこれ単独の実践では、「自分の人生から陰口を排除する」方向ではなく、自分が賛意を示す陰口に重み付けをする方向へ作用してしまうだろう。それが好ましくない――とも、あまり感じていない。その理由は次に続く。
2. 同意できる陰口は自分ひとりの言葉としてオープンにする
第2項、これは超難題。***への批判は、どうオープンにしたらいいのか。まあ友人、知人間のことなら、困るのは自分だけなので、何とかなる。大切なのは、他人を巻き込まないこと。AさんやBさんも賛成してくれている、とかいってはいけない。必ずAさんBさんに復讐され、ルールを守るどころの話ではなくなります。
「同意できる陰口は自分ひとりの言葉としてオープンに」は、私には実践不可能。何故ならば、それを実践した場合に必ず起きるであろう、「言い出しっぺでない自分が矢面に立つ」展開に、理不尽とストレスを感じずにいられないに違いないから。だから、同意できる陰口はそれにその場で同意して終わりとする。
また、「同意できる陰口」じゃなく真に自分の中から生まれた批判を、「自分ひとりの言葉としてオープンにする」場合を考えてみる。それが正当な批判であり、本人に伝える事で状況が改善すると自分で信じられるならば、口にできない事もない。しかし、言っても無駄だと薄々或いは明白に理解していたり、或いはこれは正当な批判でなく自分のわがままな感情に他ならないと察しているならば、私はそれをオープンな批判ではなく、クローズドな愚痴として吐く。愚痴は、至らない自分への自虐を盛り込んではいるけれども、所詮は陰口の一種である。よって、私は自ら進んで陰口を吐きもする。
だいたいこういうことを続けていくと、私の前で陰口をいう人が減っていきます。自分は陰口をせず、自分の知覚できる範囲内では陰口が消えていく。自分の人生から陰口を排除できる、わけです。
「自分の知覚できる範囲内では陰口が消えていく」のを、「自分の人生から陰口を排除できる」と認識できるだろうか。私には認識できない。私が一般的な慣例に逆らった結果、私の前で陰口を言う人は減るかも知れないが、逆に私の知覚できない場所で私に陰口を叩く人が必ずや現れる。それは私にとって、私の人生にまつわる陰口に他ならない。
自分が陰口を一部容認or賛同or生産している状況でさえ、自分に対して叩かれる陰口は何故かしら辛いものである。なのに、自分が陰口を追放しようとしている状況で、自分に対して陰口を叩かれるとしたら、それは私にとって、「陰口追放」という当初の目的をちゃぶ台返しせずにいられない程の苦痛に他ならない筈。もっとも、初めから「陰口追放」しようとはしていないのだから、そんな苦痛に思いを馳せる意味はないのだけど。
【お台場】といえば、5月にデザインフェスタもありますね。「ニャーでできている」の中の人が今回も出るそうですよ。
デザインフェスタは行ってみようかと考えていました。考えてみれば、東京国際展示場とお台場は近いのでしたね。東京国際展示場には何度か行った事がありました。だからお台場も実は行けない場所じゃないのですよね。精神的に遠距離なだけで。
直線距離で2km、いいかんじで充分歩いて行けます。というかビッグサイトのある場所も「お台場」だと思っていました。(地番は「江東区有明」ですが、それを言うと科学未来館も「江東区青海」ですし。)
歩き移動も良さそうですね。あの辺歩くには、日焼け止め必須っぽそうですが。