痛いです。(1匹と2人)・えあこんとにゃんぽ(まるまるかじつ ぽちもん日記)・あたちがまもりまつ(ねころぐ)/水が好き(ねこ暮らし)・子供たちの初体験・・・・・・・雪景色。(CAVALLINO 猫・ねこ・ネコ)・結託&お知らせ(どうせ「猫バカ」だもん)(以上3点、猫式訓練所より)/“Drunk Kitty (sedated after visit to the vet)”(cat@logより)
動物病院の帰りだそうで、麻酔が残ってるらしく、横に歩いたりひっくり返ったりしてしまう猫。麻酔をする程の手術の後の猫に、可愛いとか言ってる場合じゃないが、可愛い。
リューシスティックテキサスラットスネーク のうどんちゃん(猫またぎ)・寄り添って(ライオン/やきにく写真日記)・一本!(マレーグマ?/動物園写真館(別館))・弱点(オジロワシ/動物園写真館)/「水が満たされた回廊をお散歩するお魚さんたち」(ギズモード・ジャパン)/「ペンギン3種類13羽すくすく 名古屋港水族館」(中日新聞)・「ケアシノスリが初の集団飛来 福井・坂井で羽休め」(中日新聞)(以上2点、SueMe SubLogより)・「絶滅危惧種シベリアトラの赤ちゃん、デンマークで4頭誕生」(AFPBB News)/YouTube“hamster opens lego house door(werd)”(cat@logより)
原色入り乱れるレゴハウスの小ぶりなドアを、歯と全身の力を使ってこじ開けて、外の世界へと飛び出していくハムスター。何かもう、この色遣いだけで虐待っぽく見える。<“hamster opens lego house door(werd)”
★ 「いのち紡いで:多摩動物公園の50年/9 人気者の素顔-コアラ/東京」(毎日新聞)
コアラ逸話。「豪州の指示を厳密に守ってきた多摩のコアラは、過保護で神経質になった」by飼育員。だが、「約600種のユーカリの内約50種類を食べるが、個体毎に好みが異なる」繊細ぶりでは、間違いとも言い切れない。
★ 「いのち紡いで:多摩動物公園の50年/10 橋渡し-ファンとボランティア/東京」(毎日新聞)
動物園ファン逸話。ユキヒョウラブさあまりに全国の動物園にユキヒョウを訪ね歩くマニア(blog知りたい)も、来園者の為に解説役を買って出るボランティアも、愛情が他者への貢献に紐付いた、立派なファン活動。
★ 「14年前の風船手紙、底引き網漁で水揚げのカレイがお届け」(読売新聞)
※キャッシュ※ 14年前に川崎の小学生が風船に付け飛ばした手紙が、犬吠埼沖での底引き網にかかったサメガレイの体表に。粘液で“保管”されてたらしい。自然が織り成す奇跡のタイムカプセル。或いは二度とカレイが食べられぬ呪い。
★ 「サルをもって野ザル制す 街や工場パトロール インド」(asahi.com)
急速な都市開発により住み処を追われ、市街地等に現れる野生の猿を、「モンキーキャッチャー」と呼ばれる大型の猿で撃退。印度で猿は神の化身であら殺害不可だそうだが、猿は猿を殺してしまわないのか気になる。
ポ☆ニュー経由で、「大人になると感想が変わる小説漫画アニメ」(アルファルファモザイク)を読んで。
随分と子供の頃は、アニメや漫画という形を取っているだけで、何だって一定ライン以上には面白く感じていた。しかし一定ライン以上面白く感じてはいた中でも、微妙な違和感を抱く類もあった。具体的には、藤子不二雄のアニメや漫画の大部分であり、ど根性ガエルであり。大人になった今、その微妙な違和感ははっきりと「苦手」という形を取るようになった。
私はどうも、「馬鹿というかDQNが、『馬鹿さ&DQNさで悪を倒したり社会を変えたり世に抜きん出る』事もなく、むしろ『馬鹿さ&DQNさによって自業自得に陥る』が、多少痛い目に遭うだけで、根本原因である馬鹿というかDQNぶりを矯正されないままで生きている」話が好きになれない。子供の頃も薄々そうだったんだろうけど、大人になった今はアリアリと駄目。特に、ど根性ガエルの酷さといったらない。アニマックスだったかキッズステーションだったかファミリー劇場だったかで時々目にする事があるのだけど、ヒロシはいっぺんと言わず何度でも死んだ方が良いと思う。
その1:梅さんから孤児院のクリスマスパーティー出席を頼まれる→ 快諾→でも京子ちゃんとよし子先生にもクリスマスパーティーに誘われる→ じゃあ両方参加しようっと→最初によし子先生のパーティーに参加→ 場が楽しいので孤児院のパーティーに移動せずにズルズル→ ピョン吉が激怒して無理矢理引きずっていく→ ささやかなご馳走も食べずにヒロシとピョン吉をずっと待っていた子供達→ ヒロシ大いに反省
孤児院に行く理由が「クリスマスパーティー」じゃなくって「運動靴を洗ったり洗濯物を畳んであげるボランティア活動」とかだったら、ヒロシの行動はまあ理解できる。何も参加者は自分じゃなくたって構わないし、何より楽しくない。でも、「クリスマスパーティー」なんだよ? しかも子供達は自分達を愉しみに待っている筈なんだよ? この状況で、しかも自分はもう片方のクリスマスパーティーを滅法愉しんでおきながら、「子供達にも同じように愉しい思いをさせてあげないと」という風に考えが回らないなんて、そして引きずられてった現地で目の当たりにして初めて思い至って反省するなんて、いっそ現地についても考えが変わらないならそういう人種として納得しようもあるが、ヒロシの場合は救いようがなく馬鹿なだけだから一度死んだ方が良いと思う。
その2:五郎が町でチンピラに絡まれてる女性を助ける→お礼がほっぺにチュウ→ 話を聞いたヒロシ「よーし俺も、絡まれた女の子助けてほっぺにチュウゲットだぜ!」→ 手頃な女性につきまといながら「誰かこの女性に絡んでくださーい」と叫んで歩く
説明の必要性も感じない勢いで、ヒロシは二度か三度死んだ方が良いと思う。
ヒロシ、自分の非コミュをピョン吉に随分助けられていますよね。ドラえもんと同じ構造でしょうが、ノビ太より積極的なだけに始末に負えない。
ヒロシはあれだけコミュニケーション不全で他人に迷惑ばかりかけるのに、五郎に慕われたり京子ちゃんも満更じゃなさそうだったりと、他人とかなりうまくやっていけてるのが納得いかないです。それこそ、「主人公だから」しか考えられないです。 <br>あと、ヒロシの馬鹿さ&DQNさを糾弾すると、「貧乏だから仕方ないじゃん」みたいな擁護が入りそうなのも気に入りません。ヒロシの馬鹿さと貧乏は関係ないと思うんですよね。 <br> <br>のび太は、やはり好きではないんですが、彼のマイナスイメージはドラえもんによって分散される構造(連帯責任みたいな?)なのと、仰る通り積極的ではない→積極的に他人に迷惑を撒き散らさない ので、苦手を喧伝する程じゃあない、というところです。