2008-01-11 萌え猫&アニマル/はてブより/病院の思い出便乗 [長年日記]

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ミケちゃん、あらあら、フクちゃんにお尻向けちゃ失礼ですよ。(フクトラ日記)・きゅ~~~(ほんわかにっき)・どうかな?ぶさぽ?(まるまるかじつ ぽちもん日記)/仲良し なのよね?(ねこ暮らし)・ボン膨らむ。(プチブラン)(以上2点、猫式訓練所より)/仔猫のつかみ取り(猫式訓練所)/「大停電の原因はネコ」(※テキスト※/AP通信→エキサイトニュース)

最近、可哀想なだけの記事は取り上げないのだが、「寒さに耐えかね発電所に侵入→暖かい変圧器に接触→送電線に触れ感電死→1万2000世帯以上停電」なる猫の末路は、迷惑ぶりが可哀想さに拍車で、記録せずにおれない。<大停電の原因は猫

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「愛らしすぎる!『お使いクマちゃん』が人気者に―浙江省温嶺市」(レコードチャイナ/教官不定期日誌より)/「タイで、ミニチュア・バイクにまたがるカエル披露」(エキサイトニュース)・「双子パンダ親離れ 白浜アドベンチャーワールド」(紀伊民報/→白浜アドベンチャーワールド 「愛浜・明浜フォトライブラリー」)・「雑記帳:ペンギン2羽が結婚式に出席 東京・銀座」(毎日新聞)・「メキシコのフレンドリーなリス達」(デイリーポータルZ)/「ジャカルタの爬虫類愛好家協会の広告」(エルエル)/metacawe“India Village”(※動画※/cat@logより)

道路を練り歩くあひるの大群。マザー牧場で見たあひるレース等、これに比べれば物の数ではない(日本国内しかも首都圏で拝めるのだから充分に価値あるが)。<“India Village”

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「小池徹平、玉木宏の登場に徹夜組も!女子中高生500人が大パニック!」(シネマトゥデイ)

乙一の短編小説「傷-KIZ/KIDS-」が原作で、「人の傷を自分に移す特殊能力者」というありがち設定ながら、小池徹平・玉木宏・栗山千明といった俳優不尽の力入りっぷりが、乙一作品とは相性良くない私の期待もを煽る。

「ロッテリアのエビ×カニ合戦、エビバーガーと新発売のカニバーガー食べ比べ」(GIGAZINE)

「蟹棒肉入りさっくり衣パティ+アメリケーヌソース+西洋わさびソース+ディルピクルス」と、聞く限り美味しそうだが、GIGAZINE曰く「エビバーガーに敵わない」。また、絶品チーズバーガー販売店では売ってないとか。→ロッテリア「~ロッテリアの“エビ×カニ合戦”始動~『カニバーガー』を1月11日より発売!」「『カニバーガー』発売」

「二次でないと萌えない腐女子と、商業BLを楽しめる腐女子(メモ)」(Hopeless Homeless)

「絶対に食べられないあのお菓子が食べたい」二次萌え腐女子vs「手軽に安全に手に入り腹が膨らむこのお菓子を食べたい」BL萌え腐女子。そして、好物のお菓子を始終販売禁止され、美食&飽食腐女子をやっかむ男ヲタ? ARTIFACT BOOKMARKより。

「深キョンがドロンジョ役に挑戦」(日刊スポーツ)

アンジー同様、噂止まりだと思ってたので仰天。勝ち気&おとぼけキャラが務まるか微妙だが、「メカ爆発→ボンテージ衣装ボロボロ→いやーん」な深キョンには激しく興味ある。自ニュGより。

病院の思い出便乗

「病院の思い出」(出られないから仕方なくここにいるよ。)を読んで、病院の思い出語りに便乗。

ネットや本で見掛ける、「勇気を出して病院へ行ってみたら、全然怖い場所ではなくて先生も良い人で……」というストーリーは運の良い(かつそれに無自覚な)人達のものなのだと思い知らされる。

私は今までで計3箇所のソッチ系病院に通った事がある。因みに「通院中に医者が気に入らなくなって乗り換え」ではなく、「通院→通院終了を告げられる→環境が変わる→再び通いたくなる状況に→環境が変わってるので別の医者に」パターンなのだが、それはさておく。先生の良し悪しは判断しようがないのでともかく、最初の2箇所は、正直とても怖い場所だった。

まず待合室が、表情も言動も「明らかに精神病んでます」といった人々ばかりで埋め尽くされていた。私自身も、「『精神病んでるっぽくね?』と他人に指摘された」or「精神病んでるっぽい自覚が生じた」からこそそこにいるのであり、差別する意図ではなく、むしろ「自分と同種の人達≒自分自身を外から客観的に眺めるとこういう感じなんだろう」という意味で、とても恐ろしかった。最初の2箇所には、「予約時間」という概念がなかったので、それらの恐らくは自分とよく似た病んだ人々に囲まれながら、何時間も順番を待たされるのだった。これは一体何の拷問だろうと思った。待合室にいる合間に、私の精神状態はみるみる悪化していき、幾度となく涙をこらえなければならなかった(こらえきれずに泣いたりもした)。

そしてようやく順番が来て診察室に入っても、それは苦痛からの解放ではないのだった。何せ、待合室で順番を待っている人達の一部が、勝手にやってきてはドアを開けて中に入ってくるのである。侵入してきた彼等は、すぐさま付き添いの人か或いは看護婦か病院事務の人かに連れ戻され、別に危害を加えられるでも診察が長々中断されるでもなかった。しかし彼等のその姿は、自分の未来の姿のように見えてならなかった。私も彼等と同じ場所で同じ時間を過ごしているという事は、いつかああなって、他人の診察室に侵入してきて他人に連れ戻されたりするようになるんだろうか。それとも既に、ああなんだろうか。医者は何かを説明するでもなく、妨害を詫びるでもなく、何事もなかったかのように淡々としていたので、私は「自分が既にああ」だという確信を少し強くした。それはとても心が痛んだ。

そういう事が何度か繰り返されると、私はやがて病院に行く事が嫌になってしまった。そして診察時に、「私はまだ通院を続けなければいけないのか?」を尋ねた。医者は2回とも、「あなたが大丈夫だと思うなら、いつでも切り上げて頂いて結構」と答えた。投薬がそんな風に、患者の申告で切り上げられるモノだという話はあまり聞かない。では私は一体何だったんだろう?という思いを抱きつつ、でも病院から離れられる安堵に浸りつつ、通院を切り上げるのだった。

3回目の医者、これは前2回とは違い「精神科」ならぬ「心療内科」で、しかもビジネス街の中にあり、通ってる人は皆普通の人に見える。また、いつ行っても空いていて殆ど待たされない。だから通うに際しても不安がないのはありがたい。ただ、「あなたが大丈夫だと思うなら、いつでも切り上げて頂いて結構」と答えるのが、前2回の医者と全く同じ。私は一体何なんだろう。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
Jadee (2008-02-07 14:18)

病気はすべからくそういうものじゃないでしょうか。 <br> <br>うつは風邪によく例えられます。 <br>風邪が治ったかどうかを、医師が決めてくれるのは小学校まででしょう。あとは自分が治ったと思ったら体育の授業にでていた、そうではありませんでしたでしょうか。 <br> <br>『完全なる健康』がありえないのですから、病気・怪我も『ここからが病気』という線引きは難しいでしょう。 <br>病気と健康の中間地点くらいをふらふらさまよっている状態だとして、それが通院・投薬の継続を必要とするかどうかは本人の判断にゆだねられるでしょう。 <br>もちろん、素光さんはそのあたりもお分かりの上で <br>「知識の有る第三者から、治癒したという保証が得られないことへの不安」 <br>を感じたのだと思います。 <br> <br> <br>が、極端な例を考えて見ましょう。 <br>明らかなる病気・怪我の状態ならば、本人がなんといおうが強制入院というのもありえるでしょう。 <br> <br>例:腸が腹から飛び出した状態で倒れていたら、本人が「大丈夫でござる!」と怒鳴っていても救急車を呼んで強制入院 <br> <br>自分で判断してokという病気や怪我は、そこまでの『誰が見ても明らかに医師による治療が必要』と考えられる状態を内包していないということですよね。 <br>(ま、たまに大丈夫と思って通院をやめたとたんに自殺とかもあるので、この判断が絶対とはいえません。いえませんが、それを言ったら医師側の判断も絶対ではないわけです。風邪が治ったと持ったら実はもっと別の重い病気の初期症状が見えなくなっただけってことだってあるように)。 <br> <br>このへんこそ、日々の常識のパッチあてでどうにかするしかなさそうな気がしませんか? <br>

素光 (2008-02-09 03:24)

「知識の有る第三者から、治癒したという保証が得られないことへの不安」もそうなんですが、コメント欄なのである程度ぶっちゃけて書きますと、「私って本当は人格障害とか境界例なのかな?」と思っているのです。それこそ、日々の常識のパッチあて=日々蓄積した知識に基づいた自己判断で。 <br>自己判断というか診断がよろしくないのは勿論ですが、でも人格障害の類は医者が本人にそう伝える事はないとも聞きますし……。

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