2008-01-10 萌え猫&アニマル/はてブより/コミュニケーションに本当に必要なのは「自信」じゃなくて「覚悟」? [長年日記]

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丸見えです(ほんわかにっき)・やっぱり台詞は(猫またぎ)・一緒でもエェよ。(1匹と2人)・早くも来年の年賀状の話(アポロとチョコの優雅な日々)・違うよ、違うよ!(おちこじんち。)/お届け物はなんですか?(ちゃとらとはちわれ)・それでもそこに・・・。(捨てネコ兄妹)・ネコのしっぽと逃げたネコ(うちにゃん@レオっち)・びびりちびた(ちび・シャー日記)・影と(しっぽぷるぷる)・屏の上のネコ(裏町ネコネコ)(以上6点、猫式訓練所より)/六つ子ちゃん誕生(猫式訓練所)

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いつぞやのノラちゃん(ノラちゃんのギリシャ!)・アプローチ(ライオン/動物園写真館(別館))/「可愛く笑う鳥、発見:National Geographicの2007動物写真ベスト10」(cat@log)/「下田海中水族館でカメの甲羅のアカ落とし」(中日新聞/ミオンの雑記帳より)・「<養鶏>サングラスをかけ一日3回ダンスする地鶏たち―四川省成都市」(レコードチャイナ)

タイトルだけ読むとぶっ飛んでる印象だが、「喧嘩して互いを傷つけないようプラスチック製の赤いサングラス着用」「朝はすっきり目覚め・昼は減量・夜は安眠の為、音楽で踊らせる」と、少なくとも根は大真面目風。<サングラス&ダンス鶏

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「『カロリー押さえたパン』 コンビニなど5社が開発」(産経新聞→Yahoo!ニュース)

「原料の小麦の一部を食物繊維に変える等してカロリー低減」「一般的なパンが300-400kcalなのに対し、共同開発したパンは100kcal台」。せいぜい数割減を想像していたので驚愕&感心した。最重要は「味」だけれども。

「『神の使い』凶暴化…原因は人間のマナー違反」(産経新聞→Yahoo!ニュース)

日本三景の一つの宮島にて、観光客の餌等に惹かれて市街地に定着したニホンジカが、観光客を囲む・追いかけ回す・体当たりして転ばす、の悪行三昧らしい。野生の鹿なら、時期によっては立派な角があり、相当怖そう。

「ゲーム市場、過去最大規模に」(じぶん更新日記)

「日常社会の諸行動では、努力しても直ちに結果が伴うとは限らないが、ゲームの世界では、規定要件を満たした直後に確実に結果が随伴する」故、ゲーム逃避者が出現。ゲーム内の努力さえ最近かったるい私ならここに。

「動物の値段」(琥珀色の戯言)

「『動物の生態』がわかると同時に、『動物売買の世界の仕組み』も知る事ができる」本。私が思うに、(私のような)動物園&水族館好きには“‘真の’動物好き”はおらず、似非である程この(手の)本を楽しめそう。→「動物の値段」(白輪剛史/ロコモーションパブリッシング)

「中川翔子:『しょこたんぶろぐ』から菓子パン誕生 『スカシカシパン』ローソンで発売へ」(毎日新聞)

「スカシカシパン」は、ちょいと生き物好きな人なら名前&存在を把握しているであろう、“メジャーマイナー”だが、しょこたんが取り上げなければコンビニ流通菓子パンという脚光は浴びなかったと思われる。GJ!→ローソン「中川翔子プロデュース『スカシカシパン』発売開始」

コミュニケーションに本当に必要なのは「自信」じゃなくて「覚悟」?

「スザンヌが超可愛い」(とーびーらーんぶしー)を読んで。スザンヌさんと仰る、TVを全く見ない私が全く存じ上げないお嬢さんが芸能界にいらっしゃるらしく(知らない人なので極力丁寧に扱ってみた)、その方が「超可愛い」理由は「いつもにこにこ笑ってる」から――という話から発展して、笑顔の重要性とか覚悟とかの話が展開されている、と見た。これを読んで、はっと思った事があったので書き留めておく。

相手に好意を示して、それが受け入れられている人は幸せそうだが、どんな人でも、それで拒絶され心に傷を受けたことがあるのだ。
「あの人は受け入れられるから良いよね」というやっかみからは、その幸せそうな人だって、拒絶されて心を痛めたり、空気を読み違えて辛い経験をしたりしたのを乗り越えて、なお、勇気を持って心を開いているのだという当たり前の知恵が抜け落ちている。

自身を世間に受け入れられないと認識している非モテ&非コミュに対して、「自信を持てば道は開かれるよ! 絶対大丈夫だよ! きっと何とかなるよ!」と励ます言説があるが、あれが本当に言いたい事ってもしかして、「自信」じゃなくて「覚悟」なのかな???――という思いが、さっと脳裏を駆け抜けたのだった。

いや勿論、「自信」と「覚悟」は全くの別物である。しかし、「心を開くという事は、相手に拒絶される可能性をも孕んでいるけれども、それでもずっと心を開き続ける事こそが、相手に受け入れられる道なんだ」という「覚悟」はあまりにも重い。そんな重い覚悟を心の中にしっかり支え持っていられる人が、この世に本当にそんなにいるんだろうか。右頬を打たれたら左頬を差し出し、上着を盗られたら下着も捧げる、そんなごく一部の人だけなんじゃないだろうか。だが前述の「覚悟」を、「心を開くという事は、相手に拒絶される可能性をも孕んでいるけれども、それでもずっと心を開き続けていれば、いつかきっと相手に受け入れられるんだ(だって私、頑張ればできる子だもん!)」という「自信」に置き換えてみれば、つまりはちょっと自分を騙してみれば、重さが減る――んじゃないかなあ……?

最後の方で力尽きているのは、「覚悟」を「自信」に置き換えたところで、私はそれを自分の心に支え持つ事ができないからなのだけど、まあでも「自信」が「覚悟」の代替品であったとするならば、それを主張する人達の言い分は理解できると思った次第。

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