2007-10-27 萌え猫&アニマル/はてブより/自分も子供が苦手だと漠然と思っていた [長年日記]

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パンダがいっぱい。(へにょへにょ日記)・シンダグマの噴水ノラちゃん(ノラチャンのギリシャ!)・のってるのってる(決裂/烏森口の女王)・誤解されそう(シンリンオオカミ/動物園写真館)/「くじゃく園、およびフラミンゴ打法」(デイリーポータルZ)・「幻の古代魚『ダウリアチョウザメ』発見!漁師から間一髪で保護―四川省宜賓市」(レコードチャイナ)/「3000羽の鶏が道路を横断&10000羽のペンギン」(cat@log)/LiveLeak“Dog shows off his moves :)”(※動画※/cat@logより)

「『アオ~ン』『ヤオ~ン』という哀調に満ちた泣き声が、人々の胸に忘れ難い印象を残す」という孔雀の声を聴きに行くレポート。杏里の「哀しみの孔雀」ってまさか鳴き声の話だった?(←本題から外れてる)<くじゃく園

猫とのじゃれつきあい?で、興奮の為か激しく円を描いてまわるブルテリアっぽい犬。感情表現の素直な動物は可愛いなあ(人間だと苦手だけど)。<“Dog shows off his moves :)”

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「ようこそ女たちの王国へ」(ウェン・スペンサー/ハヤカワSF)

男性稀少で、「女:国王から兵士から職人、何から何まで中心」「男:誘拐等されぬよう姉妹達が固くガードして育てる」世界のジェンダーSFぽい。文庫なら読みたい。泡沫の日々より。

「ニホンカモシカ:格闘、犬死ぬ むつ、飼い主女性もけが 全国各地で被害/青森」(毎日新聞)

カモシカによる人間&犬殺傷事件の詳細。国の特別天然記念物で、「飼い犬が吠えてカモシカが興奮してしまった例が多い」「カモシカ側から襲いかかることはない」と専門家が擁護するとなると、犬を家に入れるしか?

「漁師になるにはどうすればいい? 1日漁師体験をしてきました!」(R25.jp)

講習会→漁協等と面談→現地研修数ヶ月→晴れて漁師。「やる気と健康な体さえあれば大歓迎」「そこそこ稼げるし、大漁の日は楽しいぞ!」に心動く私がいるが、イセエビ捌くのが苦痛だったので下手すると魚もアウト。

「失われた王国を少年王が再興していく国造りRPG――『小さな王様と約束の国 ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』」(IT Media +D Games)

「“建築術”で各種建物を造り王国を発展」「“建築術”行使に必要な“精霊石”採取の為に、冒険者をダンジョンに派遣(&育成)」と、2つの育成が楽しめるらしく、そして世界がFF(CC)なソフト。まずWii買うか悩む。

「高須院長『日本にも整形芸能人たくさん』」(nikkansports.com)

「カンナさん大成功です!」が韓国にて実写映画化。原作は、美醜が生む格差&それが引き起こす自意識の歪みをややオーバーに描いてたと思ったが、韓国映画版は純粋に整形礼賛?→「カンナさん大成功です!」公式サイト

自分も子供が苦手だと漠然と思っていた

教えて!goo「子供が嫌いで何が悪い!」を踏まえた自分語り。まず質問者の、「『ゴキブリや蛆虫が嫌いな人と同じように子供が嫌い』なのは『何もおかしくない』」という主張には賛同できなかった。私の感覚では、「『ゴキブリや蛆虫が嫌いな人と同じように子供が嫌い』な感覚はおかしいけれど否定しない、『何もおかしくない』は否定せざるを得ない」。だってゴキブリや蛆虫は人間に害を為す異種生物だけれども、子供は同種族の幼生にして自分自身や身内の過去の姿でもある訳で、そこが同列だという感覚はままあるだろうしそれ自体を否定はしないけれども、「何もおかしくない」と強弁されたら「いやおかしいよ」としか。

じゃあ何故、わざわざこの記事に触れるかというと、そもそも私がこの記事に興味を持ったのは、私が自分自身を子供が苦手だと漠然と思っていたからで、でもこの記事を通して私は自分が「子供嫌い」というカテゴリで属する人間じゃなかった、と発見したから。発見のきっかけは、ANo.12にあった。

自分も子供嫌いなんだなーと昔から漠然と思っていたのですが、
そうではなくて、子供を「子供」として見られず、「一人の人間」として見ているのだと最近気づきました。
つまり、「子供」であることで与えられる特権付加(暴れてもいいとか不細工でもかわいいと言われるとか)が、
私には出来ないのです。

私の「子供が嫌い」というのは勘違いでした。
いい歳したおとなが暴れていたらおかしいですよね?それと同じでした。
子供が嫌いなのではなく、「子供である特権」を与えられなければ、おとなとしての社会常識レベルまでマナーが上がらない「個人」が嫌いなのです。

そうだった。私は一部の子供が苦手故に、そしてその嫌悪感が世間に対して後ろめたく向き合い難い故に、自分を「子供全般が苦手」だと漠然と思っていたけれど、本当は違っていた。「一人の人間」として見ていたからだった。DQNを避けるのと同じく、無謀な振舞いに出る子供を避け、社交家さんを避けるのと同じく、無邪気で屈託なく配慮なくコミュニケートしてくる子供を避けていただけだった。そして、相手を「一人の人間」と見なす必要がなく、ただただ猫っ可愛がりしても良い局面であれば、それこそ小動物を愛でるのと同じ感覚で、私は子供を可愛いと思えていたのだった。

とは言え私の場合、「“子供”であることで与えられる特権付加」は、それなりに頑張ってある程度受け入れているつもりである。ただ限度があるだけで。具体的には、例えば電車の中で子供が叫んでいたとしよう。私は内心眉を顰めながら、泣き声が響いてくる方向をまずは見遣るだろう。

  • そこにいるのが、母親に抱かれる乳幼児ならば、私は眉間の皺を消す。彼等は肉親以外の社会をまだ認識できていないのだから仕方ない。むしろああやって声を上げて、自分の内なる情動を率直に伝える訓練を重ねないと、情動表現が歪な私みたいな大人に育って人生損をするかも知れない。よしわかったどんどん喚くが良い。おばちゃんはぐっと我慢しよう。(←「気にならない」ではないのがポイント)
  • そこにいるのが、大人の言葉が理解できる年齢に達してそげな、心の底から辛く悲しい目に遭って泣き叫んでいる様子の子供であれば、私は黙って目を逸らす。私は大人も子供も人前で泣いちゃいけないと考えないので(だって自分が頻繁に人前で泣くし我慢できないし)、悲しいのだったらどんどん泣けば良い。でも、どんな出来事が原因にせよ、大泣きする心境に陥ってる人間が目の前にいるその現実が私に悲しい。そして、大人が人前で泣くと涙一粒でも好奇又は嫌悪の目が向けられがちなのに、子供だと泣き叫んでさえほぼ気にされない、この扱いの差が羨ましい。
  • そこにいるのが、大人の言葉が理解できる年齢に達してそげな、自分の欲求を押し通す駆け引きで大声を張り上げてみせている様子の子供であれば、私はここで初めてハッキリ形をとった嫌悪感を抱く。時には、子供と目が合うまで子供をみつめ続け、子供が目を逸らして大人しくなるまでみつめ続ける事もある。相手を「一人の人間」と見なして抱いた嫌悪感を、相手を「一人の子供」と見なして圧力かける事で鎮める辺り、私も大人気ないというか。むしろ姑息な大人というか。まあいろいろ。

そしてここまで書いて、私は更に気付いた。私は「自分が“子供”である事を理由に、『“子供”である事で与えられる特権付加』を要求する子供」が苦手な以上に、「子供が“子供”である事を理由に、『“子供”である事で与えられる特権付加』を要求する親&世間」が苦手であった。つまり私は行き着くところ、「特権付加を要求する人間」が苦手だという話なのだった。そういう自分自身が、自分でも気付かぬ内に何らかの特権付加を要求している可能性を否定できないのが、自分でも怖いところなのだけど。

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