シュヴァンクマイエル展を観に、原宿に行った時。そしてまた、単館系映画を観に、渋谷へ行く度にも。「原宿や渋谷は“ファッションの街”で統一し、美術館とか映画館を近隣の(代々木辺りの)街にごっそり移管してもらえたら、どんなにか私にとって素敵だろう」――なる妄想を胸に抱いた。抱いている。
こちらはヲタとして、己のヲタ的知的好奇心やらヲタ的知識充足欲やらを、満たしに出掛けている訳である。なのに、オサレで若くて活気に満ちて少しもヲタらしくない、そんな人々の流れ・流れ・流れをかきわけ、ヲタっぽくないオサレな建物へと侵入しなければならない。この時に、己の心が卑屈に歪み膨れ上がるっぷりと言ったらもう、言葉では言い表しがたい。
会場や映画館に着いたら着いたで、今度は。己の知識のなさ・理解力のなさ・センスのなさ、統合してヲタとしての至らなさに、再びキリキリと歯噛みし、どよどよと気持ちを重くする。しかしこれは、目的地に着くまでの道中よりは辛くない。「オサレな街に迷い込んだヲタ1匹」が、周囲の目から歴然→黙っていても嘲笑醸し出すかも――であるのに対し、「筋金マニア集団の中にぬるヲタ1匹」は、自ら積極喧伝しない限り周囲には不明→黙っていれば馬鹿にはされない――から。多分。
ようやく、絵画や立体や映像の作品と対峙する。見ず知らずな第三者達の存在感は私の中でみるみる減じ、もはや気にもならない。代わりに、目の前にする作品やそれを生み出した人物(達)の有用ぶりに比べて、自分という存在の無駄さ加減が恥ずかしく思えてき始める。しかしこれは、会場に着いた時の悲観よりも更に軽い。好きこのんで観に来ている時点で、“敗北”を大部分受け入れているからではないか?と自分では考えている。
もも全開中♪(ちびうるシンガプーラ♪)・ネコジャラシナなの(ニャ郎ども通信)・庭ではにわにわにわのらこねこ(ねころぐ)・猫組合、あらあら、お墨ちゃんの送別会ですね。/オモシロさまは今日も病院。抗ガン剤無し。(フクトラ日記)・さぁ!猫を作ってみましょう!(レオンちゃんとパンダ日記)・投げ食い猫(にゃんげる係数)・同情するなら(ねこなど)/YouTube“fingers and her 7 dwarfs”(猫式訓練所より)
母猫と仔猫達(7匹?)。紹介者(飼い主?)のテンションとマニキュアが少し怖いが、母猫の動じないっぷりを見るに、ちゃんと信頼関係があるんだろうと見た。
「掘り出しニュース:離れられないの…コバンザメ&ハリセンボン」(MSN毎日インタラクティブ)・「新町川河口にアカウミガメ 全国的に珍しいケース」(徳島新聞)/YouTube“Our three Guinea pigs fighting for a cucumber”(エルエルより)
胡瓜の欠片を奪い合う、黒・茶・白のモルモット。「俺の胡瓜を奪う奴は許せん!」とも「胡瓜は俺が一人占めだ!」とも思わず、単純に胡瓜に夢中になってる結果――に見える。<“Our three Guinea pigs fighting for a cucumber”
★ 大人の科学vol.17「世界最古の楽器 テルミンmini」
テルミンは音程を取るのさえ非常に難しい楽器だそうなのだけど、単に「触ってみたい」「欲しい」程度で満足できる人間(=私)にはぴったりの付録。tacarin的瘋癲徘徊流浪出没転変曲折散財浪費余録より/教官不定期日誌経由。
★ 「スウェーデンの科学者チームら、人工的に「幽体離脱」を誘導することに成功」(AFPBB News)
自分が別の場にいる映像を映すゴーグルを装着中、身体に触れられた被験者10人に1人が、「別の場所で何かに身体を触れられてる自分を見てるような」感覚を得た、との事。明晰夢同様、記憶や感覚への悪影響が気になる。→関連:OpenSky「視聴覚交換マシン」(qinmuのURLメモより)
★ 「観光客『ショック』羅臼沖業者『近づかないで』 くじらウオッチング船眼前で捕鯨」(北海道新聞→痛いニュース)
観光も捕鯨&鯨食も、「失われかけた生態or文化維持」という側面を持ちつつ娯楽であり、とても甲乙つけ難いので、「町の為にどちらも仲良く」としか言いようが。