2007-08-26 ヒカン的な人間がブンカ的なものを観にオサレな街へ行く時のこと/萌え猫&アニマル/はてブより [長年日記]

[妄想] ヒカン的な人間がブンカ的なものを観にオサレな街へ行く時のこと

シュヴァンクマイエル展を観に、原宿に行った時。そしてまた、単館系映画を観に、渋谷へ行く度にも。「原宿や渋谷は“ファッションの街”で統一し、美術館とか映画館を近隣の(代々木辺りの)街にごっそり移管してもらえたら、どんなにか私にとって素敵だろう」――なる妄想を胸に抱いた。抱いている。

こちらはヲタとして、己のヲタ的知的好奇心やらヲタ的知識充足欲やらを、満たしに出掛けている訳である。なのに、オサレで若くて活気に満ちて少しもヲタらしくない、そんな人々の流れ・流れ・流れをかきわけ、ヲタっぽくないオサレな建物へと侵入しなければならない。この時に、己の心が卑屈に歪み膨れ上がるっぷりと言ったらもう、言葉では言い表しがたい。

会場や映画館に着いたら着いたで、今度は。己の知識のなさ・理解力のなさ・センスのなさ、統合してヲタとしての至らなさに、再びキリキリと歯噛みし、どよどよと気持ちを重くする。しかしこれは、目的地に着くまでの道中よりは辛くない。「オサレな街に迷い込んだヲタ1匹」が、周囲の目から歴然→黙っていても嘲笑醸し出すかも――であるのに対し、「筋金マニア集団の中にぬるヲタ1匹」は、自ら積極喧伝しない限り周囲には不明→黙っていれば馬鹿にはされない――から。多分。

ようやく、絵画や立体や映像の作品と対峙する。見ず知らずな第三者達の存在感は私の中でみるみる減じ、もはや気にもならない。代わりに、目の前にする作品やそれを生み出した人物(達)の有用ぶりに比べて、自分という存在の無駄さ加減が恥ずかしく思えてき始める。しかしこれは、会場に着いた時の悲観よりも更に軽い。好きこのんで観に来ている時点で、“敗北”を大部分受け入れているからではないか?と自分では考えている。

[動物] 萌え猫画像

もも全開中♪(ちびうるシンガプーラ♪)・ネコジャラシナなの(ニャ郎ども通信)・庭ではにわにわにわのらこねこ(ねころぐ)・猫組合、あらあら、お墨ちゃんの送別会ですね。/オモシロさまは今日も病院。抗ガン剤無し。(フクトラ日記)・さぁ!猫を作ってみましょう!(レオンちゃんとパンダ日記)・投げ食い猫(にゃんげる係数)・同情するなら(ねこなど)/YouTube“fingers and her 7 dwarfs”猫式訓練所より)

母猫と仔猫達(7匹?)。紹介者(飼い主?)のテンションとマニキュアが少し怖いが、母猫の動じないっぷりを見るに、ちゃんと信頼関係があるんだろうと見た。

[動物] 萌えアニマル画像

「掘り出しニュース:離れられないの…コバンザメ&ハリセンボン」(MSN毎日インタラクティブ)・「新町川河口にアカウミガメ 全国的に珍しいケース」(徳島新聞)/YouTube“Our three Guinea pigs fighting for a cucumber”エルエルより)

胡瓜の欠片を奪い合う、黒・茶・白のモルモット。「俺の胡瓜を奪う奴は許せん!」とも「胡瓜は俺が一人占めだ!」とも思わず、単純に胡瓜に夢中になってる結果――に見える。<“Our three Guinea pigs fighting for a cucumber”

大人の科学vol.17「世界最古の楽器 テルミンmini」

テルミンは音程を取るのさえ非常に難しい楽器だそうなのだけど、単に「触ってみたい」「欲しい」程度で満足できる人間(=私)にはぴったりの付録。tacarin的瘋癲徘徊流浪出没転変曲折散財浪費余録より/教官不定期日誌経由。

「スウェーデンの科学者チームら、人工的に「幽体離脱」を誘導することに成功」(AFPBB News)

自分が別の場にいる映像を映すゴーグルを装着中、身体に触れられた被験者10人に1人が、「別の場所で何かに身体を触れられてる自分を見てるような」感覚を得た、との事。明晰夢同様、記憶や感覚への悪影響が気になる。→関連:OpenSky「視聴覚交換マシン」qinmuのURLメモより)

「観光客『ショック』羅臼沖業者『近づかないで』 くじらウオッチング船眼前で捕鯨」(北海道新聞→痛いニュース)

観光も捕鯨&鯨食も、「失われかけた生態or文化維持」という側面を持ちつつ娯楽であり、とても甲乙つけ難いので、「町の為にどちらも仲良く」としか言いようが。

[]