お久しぶりです(おちこじんち。)・過ぎにし年月の重み(テトらんな日常)・強い男に憧れるにゃんぽ(まるまるかじつ にゃんぽち日記)/逡巡(杉並区 和泉のねこ/だから東京が好き!街のねこたち)・背伸び。。L(すみやのひとり言・・・)・いつもの展開(ちゃとらとはちわれ)・ぽかぽか陽気♪(ツブログ)・一緒に寝よう(ねこ様NEWS)(以上5件、猫式訓練所より)/グィーッ!!(猫式訓練所)
寝違える確率100%(ホッキョクグマ(上野動物園)/動物チラリズム)・外でシャワー&Happy Smile(しなもん日記)/「興正寺にタヌキ再び お堀の排水口に1匹 右京の男性が発見」/YouTube“Otters holding hands”
林檎を喉に詰まらせて苦しんでいる飼い主女性の許に駆けつけ、前脚で肩を押して寝かせた上で胸の上でジャンプし、林檎を吐き出させたというゴーレウデンレトリバー(2歳♂)。飼い主が白雪姫なら、飼い犬は王子様。
★ 「いい加減、『甘え』と『努力』を対立項だと勘違いするのはやめようよ」(シロクマの屑籠(汎適所属))
「『甘え』と『努力』は本来、バイクの両輪のようなもの」、どちらも重要との指摘。「世界最速のインディアン」は正にそういう作品だった。問題は、「努力」は1人でも可能だが「甘え」は相手がいないとできない事。
母熊が育児放棄した為に人工飼育に切り替えられ、愛護団体の「安楽死させるべき」との声をよそに大人気を博す白熊赤ちゃん――の陰で、急激な来園者増加によるストレスで急死したと見られるパンダ。風が吹けば桶。
賞味期限切れチョコ再生”証言について、「10年以上前の話」「実際は何を混ぜていたか不明」と弁明しつつ「捏造はない」と主張。騒動前の不二家よりいさぎ悪い(←造語)。痛いニュースより。
★ 「まちおこし:厚木市商店会連合会、豚ホルモン焼きで 『シロコロ』PRへ/神奈川」
割かずに管状のまま洗浄しボイルせず流通され、内側に熱く脂身が残っているのが特徴という厚木の豚ホルモン。子供の頃、焼き鳥(串焼き)でシロがいちばんの好物だった私にはたまらない話。→厚木シロコロ・ホルモン探検隊
★ 「家庭でもできる『高級料亭風』柿のデザート」(Life is beautiful)
熟しすぎていない柿の皮を剥いて切って皿にのせ、梅酒を小さじ1杯かけるだけで、「梅酒の香りが加わった高級デザート」に早変わりするという。次の柿の季節まで覚えていられるよう頑張る。デイリーポータルZより。
★ 「そうめん? ラーメン? 謎の『そうらーめん』食べてみた」
ブレンドした小麦粉にかん水とタピオカを加え、素麺の喉越しとラーメンの腰を併せ持たせた麺を、素麺つゆ+香味油+レモン汁で頂く麺。聞く限りでは激しく美味しそう。→永谷園「そうらーめん」
一般にいう年齢とは、単に暦の上の年齢、「暦年齢」です。世の中を混乱させないために、こうした共通のメジャーは必要です。けれども年齢は本来、個々に違っていいはずです。老けて見える人はそれが本当の年齢かもしれないし、若く見える人はきっとそれが本当の年齢なのでしょう。それをメディカルに測定しようとしたものが、このメディカルエージです。教官不定期日誌より。20歳前には必ず3歳・下手をすると6歳も年下に見られてばかりいた私だが、大学を辞めてフリーターの道に進んでからは、いわゆる年齢不詳キャラへと変貌した。原因は定かでないが、その頃から今までずっと、自分で自分の顔を鏡で見るたびに、「年がわかんなくて気持ち悪いなー」と思う。でも身体全身の肉はぶよぶよ&たるたる。そして最近とみに、「自分が晩年を迎えている」という気がしてならない。何か物珍しげな光景にぶち当たるたびに、「こういうのに遭遇するのも今日が最後……」等と考えてしまっている。何だろうこれ。どうでもいいや。
メディカルエージは、体の状態から診た生理的な年齢、その人のライフスタイルから判断する外的影響としての加齢度、そして心・意識が肉体にもたらす年齢の3つの要素を複合的にとらえて判断する年齢です。
本来はドクターが本人を診察して、血液検査等の生理的データをもとに、意識や生活全般をカウンセリングし、すべて総合して算出・診断するものですが、ここでは簡単なチェックテストで簡易的にあなたのメディカルエージを出してみましょう。
あなたのメディカルエージは 46 歳です。46歳で晩年気取ってちゃ、世の46歳の人々に申し訳なさ過ぎる。何かもっと干物っぽい年齢が良かった。軽く3桁突破してるぐらいの。
風が吹けば桶、ってニヒルだわ…と思いながら読んだけど、「今日が最後」感って実はわたしも持ってるんです。そうすると何もかもが懐かしくなる、って沖田艦長ではありませんが。
「電車の窓から見える沿線アパート&マンションの部屋の明かりを見て、『あの人達はあそこで幸せそうに暮らしているけれど、あの幸せは私の手には入らない……』等と考えてしまう」のも私の中では同じ感覚なんですけど、そういうのもありますか?
そうですねー、「幸せかどうかわかんないな。灯りの下で別れ話してるのかも」というふうにいつもネガティブに想像しますが、一種の共感になるのかなあ…。いや勝手な思い込みかな?
本文とは違いますが <br>>「電車の窓から見える沿線アパート&マンションの部屋の明かりを見て、『あの人達はあそこで幸せそうに暮らしているけれど、あの幸せは私の手には入らない……』等と考えてしまう」 <br> <br>わかりすぎる…。帰宅途中「つかれたなぁ」と思ってとぼとぼ歩いていると、家庭団欒な風景が見えたり、そういった音が聴こえてきても同様の気持ちになったりします(同じことを言っているだけですが)。それは私の思い込み=幻想にすぎないかも、と思っても、やはり心揺さぶられます。
>yさん <br> <br>ネガティブ感を得るという結果は一緒だけれど、妄想する方向が私と逆なんですね。 <br>部屋の明かりがオレンジ色系であればあるほど、妄想をかき立てられます。ピンクとかだと「うわー……」と圧倒されて何も出てこずに終わります。
>airさん <br> <br>夜道を歩いていて何処かの台所の窓から匂ってくる煮物の匂いとかもトリガーになります。 <br>客観的に見れば、不幸な家庭で育ったって事もない筈なんですが、何故か“家庭(夫婦でも親子でも)”には強烈な苦手感があって、姿が見えない時ほど勝手に妄想を逞しくして勝手に凹んでしまってその凹みにも慣れっこになりつつある、そんな今日この頃です。