しょうがないな〜(ねこなど)・ぬくぬく(そよ風)・最近は(SWEET×2 REVENGE)・接近(谷中のニャー。/世界はニャーでできている。)・ベビーガマたん未公開動画(Cat Scratch Fever)
★ 「『ネズミは友達だから駆除できない』と苦情を突っぱねていた男性が息絶えて無数のネズミに食べられる」(なんでも評点)
孤独に暮らす67歳男性が、保健所等からの鼠駆除要請を「大事な友達だから」と突っぱね続けていた結果、死後或いは「病気で衰弱して身動きが取れなくなった後、まだ息のあるうちから」鼠に食べられたという話。
埼玉・伊奈の工場が約6万個/hの生産力で北海道・東北・関東の一部の計約1200店舗分をまかなうのには感嘆したが、「一番公開すべきはハンバーグを作ってる部分だと思うんだけどな。」(by楠木坂コーヒーハウス)
「北京大学の図書館に寒さを避けて入り込んだ猫に、勉強を邪魔されたとして、学生がその猫を虐殺する事件」。日本の事件のように、快楽を得る為に自ら猫を探し求めて殺して他者に喧伝するのよりはまだマシだが。
子宝に恵まれない夫婦。夫は偶然手に入れた、赤ん坊に似た姿形の切り株を妻へと贈るが、妻は夫の予想をはるかに超えた勢いで狂喜し、切り株に対し狂おしいばかりの愛情を注ぐ。そして対外的なお芝居の筈だった妊娠と出産の手続きが終わったとき、不思議にも命が吹き込まれた切り株は歪な人の子として「誕生」し、手足をばたつかせて妻の乳を飲み始める。恐怖におののく夫を妻が強引に押し切る形で、夫妻はその切り株を他人の目に触れぬよう気を配りつつ、我が子として育てる事となる。
「ルナシー」の監督による、チェコの民話をベースにしたファンタジックホラー。「ルナシー」が“狂気”一辺倒の話だったのに対し、「オテサーネク」は“食”と“母性”と“童心”の醜さを幾つかの角度から表現した話かなぁ、という感じ。
まず“食”の醜さ。ジャケットにも用いられている少女の食事シーンだけでなく、少女一家の毎日の食事はまるでゲロか泥水のような有り様であるし、それ以外の登場人物の食事も似たり寄ったりに汚らしく、食事時に見てはいけないというレベルに達している。これはオテサーネクの凄惨な食事と重ね合わせているのかなぁと思ったが、シュヴァンクマイエル作品を他にも幾つか見ているという友人によれば、「この監督はいつでも食事シーンを汚らしく撮る」という話なので、深読みのし過ぎかも知れない。
次に“母性”の醜さ。私は「子供(の不在)を憂う余り気を病みかかっている母親」というキャラが大嫌いで、それは「己の母性の欠如をキチガイに嫌応なしに自覚させられる」からに他ならない。しかしこの母親は、子供が大層判りやすいモンスターに成り果ててもなおそれにしがみつくーーと見せかけて、他人の迷惑を省みないまでがせいぜいであり、自己犠牲的な愛は持ち合わせていない。その突き抜けられない情けなさに私の序盤のじりじりした憎しみは消え失せ、むしろ喝采を送りたい気分であった。
それから“童心”の醜さ。己の欲望に忠実に生きる為には父母をも無自覚に犠牲にする、子供という存在の末恐ろしさと、親という存在の報われなさ。血の繋がってない間柄では、同じアパートに住むヨボヨボながら現役バリバリのロリコン爺と少女の関係が挙げられるが、老人が少女に向ける(老眼鏡を通した)邪な汚らわしい視線は、「汚れなきモノに対して欲望を見出している」一方的な醜さではなく、「自分への欲望の視線を理解して必要とあればそれを餌にも用いる」少女との共犯的で相乗的な醜さであろう。
そしてこれらの醜さを併せ持ち司るのが、オテサーネクそして主人公?の少女であった。オテサーネクは元よりモンスターであるから醜さには正当性があり、また全身が映らない為にその醜さは画面上隠蔽されているのだが、「性への関心に目覚めた」年頃である少女の、表情から食事光景、スカートの下からのぞかせる下着に至るまで、全てが徹底的に醜い様は筆舌に尽くしがたく素晴らしい。外面だけでなく内面も、「性知識の本を好んで読み耽る癖に不妊症は伝染病呼ばわり」「オテサーネクが夫妻の手元にある間は真相を曝き事態を解決したいような素振りを見せながらも、いざオテサーネクが自分の手元に転がり込むと事実を隠蔽した上に事態の悪化を加速」「両親から与えられた食事や家に蓄えられた食糧を我が物顔で持ち去りオテサーネクに与えて保護者気取り」と歪んでおり大層醜い。少女をここまで半端なく醜く描ききるというだけで、この監督及び作品は評価に値すると感じた。
なおこの作品では、猫が「子供の代わり的に可愛がられていたところに、もっと子供代わりに適した何かがやってきたせいで除け者扱いされる」どころではなく大層理不尽そしてグロテスクな目に遭う。こんなに猫が可哀想な作品は今までに観た事がない、というぐらいに酷い。