先週末の体験メモその4。「9種類のカレーの中から2or3種類チョイスできて、ナンとライス食べ放題!」なランチメニューに大いに釣られて入店。2種類チョイスが935円で3種類チョイスが1050円ならば、3種類チョイスを頼んでいろいろ味わうべきだという線で友人と話がまとまり、2人して3種類チョイスを選んだ。
頼んだのは、チキンの挽肉カレー・チキンとマッシュルーム・バターチキン・マトンカレー・豆のカレー・イカと海老のカレー、計6品。運ばれてきてからそれぞれ食べてみたところ、バターチキン・イカと海老のカレー・豆のカレーが比較的辛味が少なく感じられたのでこちらを私の専攻とし、後は私の舌には結構厳しかったので友人の専攻としてもらった。これらの中で特に美味しかったのは、柔らかく煮込まれてまろやかなバターチキンと、肉の味がしっかり出ているマトンカレー。全体的に日本人アレンジされている風の味付けだったが、それぞれのカレーの特色も出ていて充分美味しかった。
カレー以外で気に入ったのが、付け合わせのサラダ。カット野菜にかかっているのは胡麻ドレッシングという、日本人アレンジ過ぎというかインドの欠片も感じられないのだが、しかしこの胡麻ドレッシングがけ野菜はカレーで痺れた舌を休めるのにとても良かった。今度家でカレーを作る時には、胡麻ドレッシングがけサラダを付け合わせにしようと思った。
最後に「ナンとライス食べ放題!」については、最初に出てきたナンがとても大きく、お代わりするどころか残さないようにするので精一杯だった。ちなみに甘味の強い美味しいナンだった。
「またこの箱か」と思わず、まず俺の理論を聞いてからアンケートに答えてくれ!
男にとってみれば「ルックス」が「積極的要因」であって「性格」は「消極的要因」に過ぎないという事だ。
女を選ぶときまずルックスで選ぶ。これは可愛ければ可愛いほど、美人であれば美人であるほど良い。
そして言うなればこれは第一段階である。
次に性格の面で絞込みを行う。ただしここで重要なことは性格はあくまで消極的要因に過ぎないということだ。
つまり大きな問題さえなければ男にとってそれでOKなのである。
いわば『性格』は付き合えないぐらい酷くなければ構わない、という許容要素に過ぎないと言えよう。
これが第二段階となるわけだ。これを何を勘違いしたか、ルックスと性格をさも1:1の完全代替要素のように上記のような質問をするブサイクには本当に腹が立つ。
さも可愛い子と対等の戦いを演じる可能性があるかのように語るブサイクに本当に腹が立つ。
お前たちは既に第一段階で棄却されているのが解らないのか!性格勝負なんてものが土台存在しないんだよ。
ルックス20点、性格100点のブサイクがこの二人の戦いに参加することは、未来永劫、無い。
この点、ブサイクが『永遠の傍観者』と揶揄されるのもそう遠くは無いはずである。
俺は大いなる結論に至った。ブサイクよ、どうか自覚して欲しい。
お前たちが歴史の表舞台に立つようなことは決して無いということを。
箱消滅済。誰も箱作の理論に反応せず、またアンケートにも答えないまま淋しく終わったが、この手の長文箱コメントが好きなのでメモ。
ところで、第一段階でルックスを基準にふるいにかけるのは、男女問わず誰しもが行っているのではないかと思う。要はその基準が厳しいか甘いか、世間一般に合致しているか否かに過ぎないだけで。「自分は容姿とかあんま気にしない」という男性は、「世間一般並みの基準を要求しない」という主張をしているに過ぎず、本当にどんな容姿であろうとも気にしない人というのはいない筈――というのが私の自論。
そのイタズラとは…彼の未使用タバコを愛犬のアナルに挿入している画像を
喫煙中の彼氏の携帯に送信するという…
女子らしいファンシーかつ、より愛が深まるイタズラのつもりだったのだ!
けど首を絞められつつ犯されました。
悔しいッ…!でも…ぶっちゃけ感じもしないッ…!
私達…別れた方が良いんでしょうか…?(溜息)
by 倦怠期ウーマン
箱消滅済。女署名箱で煙草ネタでSEXネタにも関わらずあまり票が伸びず、全てが中途半端とか言われていた。私はこのぬるいっぷりが面白いと思ったのでメモ。あと「>感じもしないッ…!」項より↓
感じないんだったら悔しくないじゃん
絞めると締まるってのは都市伝説だったのか
↑絞めて締まっても感じるのは男の方であって女の方ではないだろう。
「でも・・・」のつなげ方が意味不明だろ
「マゾっ気のある女性は、首を絞められて感じるものだ」と、昔隣のおしゃれなお姉さんがクリスマスの日私に言った。「箱作が感じなかったのは、マゾっ気がないか或いは男の首の締め方が下手だったからだろう」とも言っていた。あとこのネタは「くやしい…! でも…感じちゃう!」を元ネタとしており(まぁそこは大抵の人が理解しているだろう)、「悔しい時には感じるもの」が前提であるところを箱作は感じなかったという意外性の「でも」であり、だから「でも」の繋げ方は意味不明じゃないんじゃないかと思った。