2006-04-07 電池切れ携帯に苛々/萌え猫/はてブより/許せる疑似科学・許せない疑似科学 [長年日記]

[雑記] 電池切れ携帯に苛々

一晩かけてバッチリ充電しておいた筈の携帯を、仕事中はバッグの中に放置してて仕事終わった後いざ人と連絡を取ろうとして手に取ると何故か画面真っ暗で、嫌な予感に心をかき乱れされつつ電源ボタンをそっと押すと立ち上がってすぐに「電池を充電して下さい」のメッセージが出てすぐ消えて、おかげで財布の中に仕舞い込んだテレカを引っ張り出して公衆電話を探して駆け回ったりする羽目になりここまででも相当腹立たしいのに、家に帰って「やれやれ今日は携帯のせいでうんざりさせられた一日であった事よ」等と思いながら携帯を充電器にセッティングして「あっそうだ携帯の電源オンにしとこう」と思って再度電源ボタンを押した時には、たったの10秒も充電してないにも関わらず電池メモリがMAXの元気一杯アピールをしやがるので一層腹立たしい。調子扱く奴は人間も機械も気にくわない。壁に叩きつけてやろうかと思った。

[動物] 萌え猫画像

みょーん(三猫の日記)・おみやげ。(烏森口の女王)・はじめてのさんぽ(ねこのあくび)・顔技ですの(耳折れ兄弟)(以上2件、教官不定期日誌より)・お腹ホサホサ(教官不定期日誌)

「ユダ裏切ってない?1700年前の『福音書』写本解読」

「ユダの福音書」には、「唯一教えを正しく理解していた」弟子のユダに対し、イエスが自らを官憲へ引き渡すよう指示したと書かれているらしい。現代日本に伝わる“キリスト教精神”に影響あるか?(なさそげ)

「4/4 ゴマフアザラシの赤ちゃん誕生!」(鴨川シーワールド 園内トピックス)

「『エリーゼ』のビートマ茶漬け」(pata)

Yahoo!グルメ「洋食エリーゼ」/トマト・玉葱と一緒にバターで炒められた牛肉を、調理の過程で出る汁気を逃さないよう“茶漬け”に。新宿なら食べに行ける。

「人類最古の歯の治療?『ドリルで穴』・パキスタン」

新石器時代(9000年前)の人の奥歯に、「硬い石を用いて人工的に削られた痕跡」発見。昔は虫歯になり辛い食生活だった反面、歯科治療は恐ろしいぐらいに原始的だったんだろう。

「テニスの王子様」映画公式サイト

「地獄甲子園」路線だと思っておけば良いんだろうか。あと「逆境ナイン」とか。どちらもまだ観てないけど。

「ノルウェー五輪コーチに贈られた5トンのメイプルシロップ」

「オリンピック精神を具現化した」行いで、自国選手を結果的にメダルへ導いたノルウェーコーチに感謝を込めて、カナダ人達がメイプルシロップ5tをプレゼント。米やキムチにはないほんわか感。

ネットシネマ「恐怖依存症」

「PCとアニメが趣味で、自身をヒッチコックの生まれ変わりだと妄想しているアキバ系青年(窪塚俊介)が、リアル女に出逢って狂って現代社会の脅威となる話」っぽい。リアル女は悪。

「シロクマの子どもを公開 大阪・天王寺動物園」

「人間の年齢に換算すると小学生ぐらいでわんぱく盛り」なゴーゴ君、雄の1歳で、体長約130cm・体重約110kg。ちっとも“子供”に見えない、そこがまた良し。

[日記読み] 許せる疑似科学・許せない疑似科学

「ゲーム脳問題:えこひいき」(趣味のWebデザイン)及び「疑似科学という単語の恣意的な運用。」(Lounge Programmers Killer)を読んで。両者とも“ニセ科学”なのに「ゲーム脳」が叩かれ「脳を鍛える〜」が見逃される現状を指摘するエントリ。

徳保氏が推察する通り、“ゲーム可愛さ”だけで「ゲーム脳」を叩いて「脳を鍛える〜」をスルーする人も確かにいるのだろうけど、さすがにそれだけではないのでは。「『ゲーム脳』はゲームを封じる為の真面目な学説と見なす向きが少なくない一方、『脳を鍛える〜』はゲームに留まっているから今のところは問題視しない」という人の存在は容易に想像できる。この人物が私の想像の産物でなく実在するか否かは、例えば「脳を鍛える〜」が学校教育辺りへの導入を検討され始めたりした段階で明らかになるだろう。

ちなみに私も「ゲーム脳」理論の台頭を問題視している1人だが、それは私自身が自分の体験から「ゲームは日常生活を放棄しかねない程の中毒性を孕んでいる」と実感し、「ゲームの那辺に中毒性があるか」「如何に手綱を付ければゲームに主導権を握られずに上手く付き合っていけるか」を知りたいと考えているからである。「ゲーム脳」理論が世間に鵜呑みにされ支持される展開では、私が待ち望む「真にゲームの問題性を指摘する」科学的研究が阻害されかねないので困る。「脳を鍛える〜」も、今後「真にゲームの問題性を指摘する」科学的研究に真っ向から対立するようなら困る。

さてここからは「ゲーム脳」から話を離れて、「許される疑似科学」と「許されない疑似科学」の境界線について。「朝の血液型占いや星座占いに『疑似科学を流布するな』と真剣に怒る人」がそれほどいないのは、基本的に占いは気休めや暇潰しのアイテムだと見なされているからで、「細木和子氏に対して『トンデモ』『デタラメ』などと攻撃する人」が多いのは、実際どうだか知らないが、少なくともTV番組やその周辺で彼女が権威であるからではないかと思う。つまり「許される疑似科学」と「許されない疑似科学」の境界線は、「自分の目に付く範囲や自分に影響を与える範囲で“真に受ける人”がどれだけいるか」にあるのではないだろうか。

例えば私は占いや診断サイトを好み、この日記でも頻繁に自分の結果をペタペタ貼って悦に入っている。それもこれも、占いや診断が“遊び”に過ぎない為に、純粋に面白がれる「許される疑似科学」だからである。これがもし仮に、例えばうちの会社の偉い人がトチ狂って、担当業務の割り振りや査定を占い&診断で行うようになったならば、私は「信憑性のない代物で私の人生を決めるな」「私の好きな遊びを私が楽しめないような方向へ持っていくな」と、二重の意味で怒り狂う事だろう。この時点での占い&診断は、私にとって「許されない疑似科学」と変化している筈である。

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