★ 萌え猫画像 超レア! (魅惑の仔猫日記(4月29日付))・トロちゃん、お気に入り変更(とんぢる劇場(5月8日付))・邪魔(Luna*Station(5月8日付))・キッチンにて その3(うちの雛さん(5月8日付))・猫画像ズ(sodiumイオンにっき(5月8日付))
★ 萌えアニマル画像 「イワトビペンギン 繁殖に成功」(ミオン動物園(5月8日付))・「ウミネコ島の恐怖〜鳥が人々を支配する島」・「色鮮やか オニオオハシ仲間入り のいち動物公園」・「珍たまご “しっぽ”付き卵が近所の話題に 茨城」
2件目、まるで鳩のような怒涛の勢いで群れ集うウミネコに圧倒される。
4件目の卵は、鶏の飼い主曰く「食べずに様子を見る」との事なので、[食べ物]ではなく[動物]カテゴリに置いた。
★ 「肉球をプニュプニュに復活させる」(→関連:ドギーマン楽天市場支店 足裏専用)
外を散歩する犬の肉球は、そうなる必要があってカチカチに硬くなるんじゃないかと思うのだが、ペット用品会社がわざわざ専用商品を出すぐらいなのだから、犬の肉球をプニプニにする事の弊害は恐らくないと考えて良いのだろう。
★ 「トラウマ残す激しいストレス受けると新生細胞が激減」(sea of tranquility(5月7日付)より)
マウスを使った実験結果で、精神的外傷を残す激しいストレスを経験した時に限らず、その精神的外傷がフラッシュバックとして蘇った時にも、脳の記憶を司る「海馬」の新生細胞が一定期間後に激減したとの事。
この結果から「学級崩壊や異常犯罪などは、乳幼児のころから度々トラウマ体験にさらされ、脳の神経ネットワークの形成が阻害されることと関係があるのではないか」という仮説を提示するのは大胆に思えるが、ゲーム脳理論と比べればごく常識の範疇か。
★ 「容姿:日本女性『自分は他人より劣る』 4人に1人も」(猫の名はAqui(5月8日付)より)
謙虚が美徳とされるを通り越して謙虚である事を半ば強制され、例えばうっかり「私って綺麗でしょ」「私って可愛いよね」等とでも言おうものなら、よほどずば抜けた美人でもない限り同性異性両方から「勘違いしてろ馬鹿女が」と陰湿なツッコミが入る土壌の国で、「自分を肯定的にとらえろ」というのがそもそも無理な注文だと思った。
私自身は自分の容姿に「満足」できてはいないが「妥協」はできているので、これで良いんだと思う。周囲が振り返る程の美人には程遠いけれども、周囲が振り返る程の不細工って程の不細工でないだけ良かったかな、と。もっとも、年波が寄るほどに容貌は衰えるものだそうなので、今の位置でこの先も安心はしていられないが。
先日この日記でも取り上げたニュース記事「科学常識このぐらいは――目安作り、文科省乗り出す」(※元のYOMIURI ON−LINE記事が消滅済の為、gooの転載記事にリンク※)及び、この記事に対する各ブログの反応について書かれている興味深い文章を見つけたのでメモ。
まずその1、「常識の常識」(児童小銃(5月3日付))。こちらは、
常識というのは単に正しい知識ということではなくて、社会的に広く承認されている知識、ぶっちゃけ言えばみんなが常識だと思ってる知識が常識なわけで、曖昧さがあってもそれも含めて常識です。「常識チェック」なんて言われた時点で、世間的にOKかNGかを考えて答えるべき。×をつけるには常識以上の知識が必要だと思うなら○をつけるのが正しい受験態度なのでは。
と、この問題が「常識を確認する問題」である事を念押ししている。
その2、圏外からのひとこと(5月5日付)経由で「成績の高低ばかり話題になる『科学常識』」(StarChartLog(5月3日付))。こちらは、各問いの曖昧さを幾つか実際に指摘した上で、
科学の発展というのは「常識の枠からはずれて真実を見出す」という面もあるので、こういうテストにとらわれるのはちょっと違うんじゃないかな、と思いました。
と、「この問題の正答率ばかり気にかけるのは正しい姿勢ではない」との見方をしている。
児童小銃は「常識」について、StarChartLogは「科学」について説明しており、どちらも間違った事は書いていないように見受けられる。この2つのエントリが相反した主張をしているように感じられるとすれば、それはそもそも「科学」と「常識」との相性が良くないからではないだろうか。「科学」が「仮説」と「検証」という工程を経てより「真理」へと研磨される知識であるのに対し、「常識」はいわば「その世界&その時代の多数決」に過ぎない。だからこの2つが同時に冠されている問いに対して、「常識」を答えれば良いのか「科学知識」を答えれば良いのか悩んだり躓いたりした人達がいたのは、無理もなかったと言える。文部科学省は日本国民の「(科学)常識の無さ」を嘆く前に、自分達のセンスのなさを反省しなければ、日本教育の今後は危うい。
……というような事を得意げに友人に語って聞かせたらば、「君には常識が欠けている」と言われた。(←オチ)
「ブログ脳内恋愛作法〜テキストだけで恋をしよう〜」(ARTIFACT@ハテナ系(5月8日付))を読んだ。女性ブロガーを対象にして妄想を繰り広げて楽しもうという「脳内恋愛」のススメで、段階毎に取るべき行動が説明されており、恋愛に不慣れなオタにも親切な仕様となっている。ただ、「面白い」とは思ったが(だからメモしてる訳だが)、このネタを作った人(達)は「脳内恋愛」をちゃんと理解できていない、とも思った。
相手のblogを過去ログまで読み込んで深く理解したつもりになり、更新の都度一喜一憂するまでは良い。だが、メールやコメントを送ってしまった時点で、脳内恋愛からは脱落である。ましてや「メッセンジャーで毎日話せるようになったら、大成功」は問題外である。「あえて『会わない』から脳内恋愛」「これはあくまで『会わない』ことを前提としたプレイ」等という程度の認識では到底生ぬるい。例えテキストであっても、接触は許されない。相手の行動に影響を与えかねない行動を起こさないからこその「脳内恋愛」である筈である。
結論:このテキストに想定されているような「脳内恋愛さえ完遂できないような半端なオタ」が、いわゆる「サークルクラッシャー」的存在に勝手に躓いて自滅したりする。
よく「脳内恋愛」というコトバがある。 概念的には理解しているつもり。 その作法を...