★ 萌え猫画像 フクトラ、あらあら、頬を寄せ合ってお昼寝ですね。(フクトラ日記(4月24日付))・ねこ侵食中(うちの雛さん(4月25日付))・猫草(Luna*Station(4月25日付))・猫の車(花猫風月(4月25日付))・改札猫(教官不定期日誌(4月25日付))
★ 萌えアニマル画像 「魚…バットフィッシュ→真っ赤な唇のセクシーな珍魚」(知識の泉 Haru’s トリビア(4月25日付))
テーブルや後方の壁を白い模造紙で覆い、試食者は全身白装束で固めての、気合充分な実験レポート。カレーうどん&カレーそばは、飛び散らないように細心の注意を払いながら麺を啜らずにゆっくりと口の中に運んだ場合でも、自重で勝手に途中から千切れてあの黄色い汁をこちらに撥ね飛ばしてくれやがるから始末に悪い。美味しくさえなければ、絶対にあんなもの食べやしないのに。
第1部は、スーパーで買ってきた肉のパックを自室の冷蔵庫で「熟成」させ、新鮮な状態のモノと食べ比べるレポート。「腐りかけがウマイ」と言われるのは牛肉の話だと思っていたが、実験で用いられたのは豚の厚切り肉と鶏の挽肉。「豚肉は時間を置くと色が悪くなるし臭いが臭くなるから駄目だろう」と思いながら先を読むと、実際に色も臭いも悪化していたにもかかわらず、味は時間が経ったモノのほうが美味しかったというから驚きである。しかし幾ら美味しくても、調理する時に臭いがキツイのは作ってて萎えるからやっぱ嫌。
第2部は、カレーを自作して寝かせて1日毎に味を食べ比べるレポート。世間で喧伝される「寝かせたカレーは(味が馴染んで?)美味しい」という長所には触れられず、「水分が減ってドロドロになる」「香りが飛んで辛味が抜ける」といった短所がクローズアップされていた。ところでカレーを寝かせて作る場合には、予めじゃがいもを入れないんだった気がする。確かじゃがいもが真っ先に傷んで、カレー全体に被害を広げるんだとか。
ソングライターになる夢を抱いて、ニュージャージーから単身NYに上京したバイオレット。意気揚々とレコード会社に出向いて回るが、デモテープを受け取ってすらもらえない。しかも住んでいるアパートを泥棒に荒らされ、虎の子のお金も失ってしまう。バイオレットは生活費を得る為、過激なパフォーマンスが売りのバー「コヨーテ・アグリー」で働こうと決心する。
「女の子のサクセスストーリー」なのだが、まるで少女向け漫画&小説のような軽くて薄いシナリオだった。「ソングライターになりたい」というバイオレットの「夢」を阻む「障害」として書かれているのは、「スタートラインに着かせてくれようとしないレコード会社」であり、「万が一の備えを奪った上に部屋を荒らしてやる気を削ぎかけた泥棒」であり、「生活の支えである反面曲売り込みの機会を奪うバイト先(コヨーテ)」であり、「舞台に立つと緊張して何もできなくなってしまう『母親譲りの』上がり性」であり、決してバイオレットの実力不足ではない。彼女が苦労したのはこれらの障壁の克服に過ぎず、克服と言っても第三者が手助けしてくれたり状況のほうから変わってくれたりで、彼女の努力の成果ではない。くじけそうな状況の中、夢を諦めずに頑張ろうとしただけでも充分偉いんだろうとは思うのだが、それでも彼女の努力よりも彼女を取り巻く幸運のほうが勝って見えたのは否定できない。
という訳で、この作品はシナリオは脇に置いといて、バー「コヨーテ」のマスター&従業員一同のハチャメチャな暴れっぷりを愉しんで観るべきだと思った。カウンターの上に土足で上がって踊るわ歌うわ、男性客を勝手にオークションにかけるわ、飲み物の出し方はぞんざいを遙かに通り越しているわ、しかしその無法っぷりが一線を突き抜けている為にサービス及び芸として成立してしまっているのだからスゴイ。確かにここまでおバカなバーならば、お金を払って通う価値はあるだろう。但し私は人混みが苦手だから、あんな混んでてやかましそうな店には行かず、あくまでも第三者の視点から眺めるに留めるが。
母親のテスは、本も出すまでに精神科医として成功をおさめている。一方娘のアンナは、陰険な教師や意地悪な同級生の虐めを不器用な体当たりではね返している為に学校で問題児と見なされており、家族よりも同級生達とのロックバンド活動に夢中。日頃から折り合いの良くない2人は、テスの再婚&アンナの大会予選を目前に控えたある日、家族揃って出掛けたチャイニーズレストランで大喧嘩を始める。見かねて止めに入った中国人の女主人が差し出したフォーチュン・クッキーを口にしたばかりに、翌日お互いの身体が入れ替わってしまうというとんでもない事態に見舞われてしまう。
「身体入れ替わりネタ」という、ある意味陳腐で使い古されたネタなのに、とても愉しんでみる事ができた。一気に年を取ってしまった不運にもめげずめいっぱいオシャレをし、トラブルは豪快にぶち破って突き進もうとするアンナ(外見はテス)、慎ましやかな振る舞いを心掛けるだけでなく同級生にもそれをして不審がられ、でも時折ささやかに羽目を外してみせたりもするテス(外見はアンナ)、身体が入れ替わった母娘2人がどちらも負けず劣らず可愛らしくてたまらなかった。外見と中身の不一致から生まれた魅力であるのと同時に、中身が本来持ち合わせた魅力でもある。
また、「立場を入れ替えた母娘がお互いと自分とをそれぞれ再発見」する筋書きでありながら、実際には「母親にかわった娘→第三者の自分に向ける認識を発見」「娘にかわった母親→娘を取り巻く環境を確発見して娘の立場を理解し一部障害を排除する手助け」と、単にお互いがそれぞれの立場で同じ事をしていないのが良かった。あれこれ問題を抱えて立ち悩むものであるのが当然な思春期の娘とは違い、母親は娘との関係が円滑でない以外は元より人生順風満帆なのだから、そこに「実はこんな苦労や悩みが……」と持っていかない事で、不要な陳腐さが生まれずに済んだと思う。