今日は生まれて初めてサツマイモの味噌汁なるものを作り、生まれて初めてサツマイモの味噌汁なるものを飲んだ。ネットで検索した感じでは意外と定番メニューであるらしく、定番メニューであるからには不味い筈はないので安心して調理したのだが、しかし出来上がりを一口啜ってみて驚いた。……サツマイモの甘味が味噌味に溶け込んでいてすごく美味しい!
話は変わって、「とろろうどん」に「山芋のすりおろしがのったうどん」と「とろろ昆布がのったうどん」の2種類があるように、世に「さつま汁」と呼ばれる食品も2種類あるんだそうである。1つは、鶏肉と各種野菜を味噌味で煮込んだ鹿児島の郷土料理。かつて薩摩藩で盛んに行われていたという闘鶏の、負けて死んだ鶏を使って作られた野戦料理だそうである。サツマイモは入ったり入らなかったりするようである。そしてもう1つは、魚の身を磨り潰し白味噌と混ぜて出し汁で伸ばしたものをご飯にかけて食べる宇和島の郷土料理。サツマイモも薩摩も影も形もない。そしてこの話にはオチもない。
★ 萌え猫画像 なす(二十穀米。/烏森口の女王(1月29日付))・暖をとる(おちこじんち。(1月29日付))・猫じゃらし(今日の犬様 今日の猫姫(1月29日付))
★ 萌えアニマル画像 「野生のコウノトリ 30年ぶり巣作り確認 豊岡」(ミオン動物園(1月30日付)より)
★ 「碧南海浜水族館:珍しい深海の生き物、仲間入り−−きょうから公開/愛知」
名前は「オーストンガニ」「アカモンミノエビ」と凡庸な印象ながら、オーストンガニの今にも折れそうな細い脚・アカモンミノエビの透き通るような殻に鮮やかな赤い紋は印象に残る。
★ 「中国でパンダ専用の血液バンク設立へ」(世界びっくりニュース(1月29日付))
「保護している81頭のパンダ全ての血液型を調べ、将来、野生パンダを保護と救助のためにこれらの血液を収集し備える」との事。
★ 「情報教えてください」(天の点検日記(1月29日付))
愛犬のウエルッシュコーギーが進行性の脊椎の病気にかかってしまった方の、情報提供依頼にリンク。
私のサイト巡回は数日分まとめてなので情報を知るのが遅れ、日記の更新は更にその後なので告知も更に遅れ、飼い主さんにとって「今更」なリンクでしたらお詫び致します。
「牛以外でBSEの感染が確認されたのは初めて」だそうである。羊のスクレイピー(伝達性海綿状脳症)が牛のBSE(牛海綿状脳症)の発端と聞いていた気がして混乱している。
★ 「贅沢くだもの−皮なしミカンとブドウ」(デイリーポータルZコネタ(1月29日付))
皮付きミカン&皮付きブドウの皮を重曹で溶かして皮ナシに仕立て上げるレポート。「缶詰の皮ナシ果物は極上デザート」と主張する記者とは違い、私は缶詰の皮ナシ果物の「得体の知れないブランドのモノが100円で山積み投売りされている」チープさを好んでいるのだが、「好き」という気持ちは共通なのでまあ良いのかなと思った。
鬱病をテーマにしたメディ・シネマ。その内観る。
(鬱病じゃないけど)私のほうはと言うと、最近はすっかり薬の事も医者の事も忘れて暮らしており、躓く事は多くとも深い沼にズブズブ沈んでいかずに比較的速やかに自力で浮上してこれるので、まあ大丈夫っぽい。でも春はすぐそこまで来ている。少しだけ不安。
★ 「30歳境に結婚より仕事=余暇も『恋人と』から『1人』に−独身OL生活意識調査」(→関連:第21回ヤクルト健康調査 一人暮らし独身OLの健康と生活意識に関する調査/Yakult本社より)
独身OLは年を重ねるにつれて、仕事への意欲を高めやりがいのある仕事を求めるようになり仕事を生き甲斐とするようになり、余暇は恋人とでなく1人で過ごす事を好むようになり、結婚に消極的になる……との調査結果。
これを「女性も長く勤め上げていると会社や仕事に対して執着を見せるようになるんだなー」と解釈するか、それとも「独身OLを『売れ残り』『嫁き遅れ』と見なせば、年齢が上がるにつれて調査結果のような傾向を示すのは至極当然」と受け止めるか。
私個人的には、アンケートの最後に「腸の健康」項目が紹介されているのがヤクルトアピールっぽくて面白かった。ここにある、「一人暮らし独身OLは心身ともに核家族の主婦よりも疲れている」「一人暮らし独身OLよりも主婦(核家族)の側に、『周囲に自分の疲れを分って欲しい』と思うことが『よくある』人が年齢を問わず多い」なる記述は、主婦叩きのネタになりそうだなと思った(叩きませんが)。
★ 「ゲームに於ける“死”」(kasa’s legitimate square(1月28日付)他)
世間で騒がれている「ゲームにおける死の扱いが子供に悪影響を与えている」といった議論を踏まえつつ一歩引いて、「ゲームは死をどのように扱っているか」をジャンル毎に考察した記事。
何となく思うのは、「死」の記号化は「『死』を軽々しく扱う」事と決してイコールではないのではないか、という事。むしろ「記号化された死」ではない「絶対的な死」が、リアルさを演出しているけれども実際にはフィクションである分、その矛盾を「現実は現実・仮想は仮想」と割り切って解決できない相手には悪影響を及ぼすかもしれない。それはRPGやADVのシナリオにおける「死」であり、また他媒体の小説・映画で扱われる「死」でもあり、つまりゲームに限ったものではない。
(2/5追記:記事コラム化に従いタイトル&リンク先修正)