未だ一度も炊き込みご飯を作った経験のない私に代わり、調理師に友人を迎えての牡蠣ごはん。次の機会には自分で作れるよう、作り方を聞いてメモしてみる。
今回は帆立もあったので、牡蠣の他にそれも加えてもらった。てっきり貝類もご飯と一緒に炊き込むものと思っており、別に調理するのは意外だった。その発見と今回のメモ書きで満足して、この後もしばらくは炊き込みご飯を作らないままでいる可能性が高い。
おかずもないと心許ないので、帆立と牡蠣の他に送られてきたさんまの味醂干しを焼いて食べた。私はどうも、味醂干しの良さというモノがよく判らない。甘辛い味付けが嫌いという事はないし、美味しいか否かと聞かれれば「美味しい」と答えるのだが、しかしこの味付けはご飯のおかずの味じゃない気がするのである。小学生の頃給食に頻出した揚げパンが、油っこいわ砂糖たっぷりまぶさっているわで、デザートには美味しいだろうけど主食に出されても辛いだけだった、それと似たような気分である。
★ 萌えアニマル画像 「たき火に群がり芋争奪戦 愛知のモンキーセンター」
★ 「ほとんど知られていない珍鳥『キウイ』の面白い生態!!」(知識の泉 Haru’s トリビア(12月19日付))
体重の平均20%もあるような巨大な卵を産む為に産卵は難産であり、雌は時々冷たい水に使って負担を減らそうとしたり、産む直前には胃に食べ物を入れるスペースがなくなって食事が取れなくなったり、と苦労するそうである。雄も、2ヶ月半もの間抱卵して協力的だそうである。この辛い産卵は年2−3回だそうで、こういう話を聞くと、他の鳥の卵は食べられてもキウイの卵は食べられないかなあ、と思ってしまう(私はいつだって食べる事しか考えていません)。
★ 「ペット探偵に挑戦!」(デイリーポータルZ(12月19日付))
犬猫を飼っている人なら、飼い猫が散歩から帰ってこなかったり、飼い犬が銅輪から抜けて逃亡したり、そういった経験で困惑させられた経験があるだろうと思う。ペット探偵の仕事のノウハウには、そういった飼い主に役立つような秘訣がないだろうか、と目を皿のようにして読んだ。飼い主の声を録音したボイスレコーダーを用いる他、猫の隠れやすい場所・捜索ポイントの決め方等といったポイントは役に立ちそうである。しかしそれで一介の飼い主がペットを確実に探せるようになるなら、そもそもペット探偵という生業は成り立たない。ペット探偵ですら、確実にペットを探し出せるものでもないそうだし。
★ 「<ビール・発泡酒>05年明けから値上げへ リベート廃止で」
卸業者が販売量に応じてメーカーから得ていたリベート(報奨金)が廃止される為、「多く仕入れて安く売る」手法をやめる業者が増える、との見通し。コンビニ等でほぼ定価で買っている人にはあまり影響がないようであるが、安売り酒店を利用している人には痛手かも。
★ 「<雑記帳>ハタハタの卵『ブリコ』加工に成功 秋田の研究所」
「塩水に浸すと独特の粘りが損なわれる」問題を「約70度の湯に浸すと卵膜と卵が分離する」発見から「生に近い状態での塩蔵が可能に」なったんだそうである。個々の事象の繋がりが理解できないが、単に「ブリコが加工品として広く出回りそう」とだけわかっていれば良いのだろう。イクラやタラコや数の子等の魚卵系は私の好物なので、このブリコという食べ物もいつかその内食べてみたいものである(食べてても忘れているだけの可能性もあるが)。
★ にほんいちまずいラーメンや 彦龍(つかれた(12月19日付)より)
前にもメモしたような記憶があるが、過去ログ検索で見つからなかったのでメモ。ボンクラとDQNを足したような経歴がすごい。TV番組で優勝したというお墨付きがあろうがなかろうが、「まずいラーメン屋」を看板に掲げる店は他にもあるが、傷んだ食材を使うのは反則技だと思った。
★ 「『Swarovski』の聖なる輝き もみの木のかたどった『Christmas Tree』」・「『Swarovski』のクリスマスコレクションはプレゼントを積んだサンタの『Sleigh』」
スワロフスキーのクリスマス風ガラス小物。プレゼントを積んだ精巧なそりも夢があって素敵だが、もみの木のシンプルかつ安定感あるデザインもとても可愛い。私はこの手の小物を手元で大事に管理しておけないので、こうやって眺めるだけがいちばん良い。
太平洋戦争の最中、米国の空襲で甚大な被害を受け多くの死傷者を出している帝都・東京に、犠牲者達の怨念を受けて魔人・加藤保憲が復活した。同盟国側に奇跡の勝利をもたらすべく、連合国側の首脳陣達を呪殺する儀式の用意を進める高僧に、帝都の完全な破壊を目論む加藤は妨害の手を伸ばす。加藤と同じく霊能力の持ち主で高僧に仕える青年は、帝都を守る為に加藤に闘いを挑む。
関東大震災を間に挟みつつも華やかな旧き時代の様相を描いていた前作に対し、今作は東京大空襲の真っ只中なせいで情緒や浪漫がないが、そこはそういう時代の話なのだからそういうものと受け入れる事ができる、というかそう受け入れるのが当然だろう。しかしそれに加えて、加藤に対抗する人間も今作では複数流派ではなく僅か1人か2人足らずであり、話全体の膨らみが欠けている印象。「膨らみの代わりに少人数戦闘ならではの緊張感を漲らせた」のなら見劣りしないのだろうが、今作での戦闘は儀式色や魔術色を排した(それは丹波哲郎演じる高僧の担当となった)どう見ても超能力合戦であり、しかも加藤と主に対峙する青年が能力を使う都度嘔吐する弱々しさで、どうにも迫力にも欠けている。前作と比べれば明らかにしょぼいので、前作の続編という期待をかけて観るなら多少はガッカリするだろう。
しかししょぼい映画はそういうものとして楽しめる私には、それなりに面白い映画であった。前述した加藤雅也演じる超能力青年の、最初から最後まで反吐を吐き続ける弱々しさダメダメさ、なのに辰宮雪子に対して「これは自分と加藤との闘いだ!」と加勢を拒む身の程わきまえなさはとても楽しめた。雪子の仕事仲間役として登場する野沢直子は、その時代の空気にしっかり馴染めてしまっている外見と、雪子の心情を全く理解せずに繰り出す空気読めない言動が良い味を出しており、最期の散りっぷりも見事だった。高僧の奇策が、「それって呪殺って呼んで良いの?」「他の国の人間に見せたら抗議食らうんじゃないの?」といろんな意味でずるかったのも面白かった。雪子が見る悪夢の禍々しさおどろおどろしさには超能力青年の戦闘よりも数段の迫力があり、当然何かの伏線になっているに違いないと思いきや何の伏線にもならずに終わる、その肩透かしっぷりといったら転げ回りたい気分になる程であった。伏線が伏線になってない肩透かしと言えば、前作のラストが今作に繋がっていないところも素晴らしかった。そしてこれがいちばん大事、加藤保憲は前作同様にカッコ良かった。