根が怠惰夜型人間なもので、休日ともなると起きるのは早くても9時前後になるし、外出するにも支度が済むのは昼過ぎ頃が常である。特別な予定でも入っていない限り、大抵は夕方までぼんやりと過ごし、「あーこの週末も何もしなかったなー」と1日を振り返ったりする。
そんな怠惰な夜型人間にとって、レイトショーは非常にありがたい存在である。夕方から、もっと遅くて夜から出かけても、映画の開始に充分間に合う。観終わった後の食事場所に制限があり捜し出すまでに時間を要するのは夜間映画観賞の欠点であるが、それも週末であれば翌日に差障が出ないので特に気にもならない。
今日は映画を観終わった後に月の雫にでも行く予定だったが、映画が終わった頃には予想以上におなかが空いており、空腹で飲み屋に行くと飲食代がかさむので取り止めて、代わりにラーメン屋に寄った。飲み屋の代わりなんだから豪勢に行こう!と、蒸し鶏付のカレー味噌だれつけ麺の他、キムマヨ焼き豚飯と焼き餃子と、それから食後に杏仁プリンを注文。カレー味噌だれつけ麺は今回初挑戦だったが、カレーと味噌の馴染みが良く、その濃厚な辛味が太目の麺によくあってとても美味しかった。添えられた蒸し鶏とキャベツは、口の中の辛味を和らげるいい緩衝材になっていた。しかしそれでも1皿食べ終わる頃には口から火を吐きそうに辛くてたまらず(私はカレー好きだが辛いものが苦手)、頼んでおいた杏仁プリンの甘味と冷たさに癒された。
そう言えば今日は久々に新宿東口に出たのだが、クリスマス装飾が為されていた。樹木に青い光(LED?)が散りばめられていて大変綺麗だったが、あれは光そのものが綺麗なのであり意匠の部分で勝負していないのが少々ずるい。また、青い光は綺麗だけれども冬の夜には寒々しく感じる。私はやっぱり、赤&緑&金or白の基本クリスマスカラーの飾り付けが好きだなあ。
★ 萌え猫画像 ハート型(Daily Yummy(11月27日付))・座り方が変?(今日の犬様 今日の猫姫(11月27日付))
★ 「お肉を使わない肉料理ランチ」(デイリーポータルZコネタ(11月27日付))
今まで食べた模造肉でいちばん美味しかったのは、ナタラジの「ナタラジカレー」に入っている大豆グルテン肉。脂が程良く落ちた脂身のような、弾力ある歯応えが印象的だった。そう言えばあれもカレーであり味付けは当然スパイシー、肉なし料理を美味しく食べるにあたっては、ライターさんが言う通り「このスパイシーってところがポイント」なのかもしれない。
★ 「豪州、『7.5トン』の巨大リゾット、世界の飢餓を訴え」(楠木坂コーヒーハウス(11月27日付)より)
米1.6t・スープ4400l・冷凍えんどう豆800kg・サフラン1.5kg・チーズとバター600kg・ニンニク20kg・タマネギとセロリ600kgを使い、3時間かけて作ったという7.5tの巨大リゾット。7.5tと言われても全くぴんと来ないが、香辛料であるサフランやニンニクの使用量の凄まじさから、リゾットの規模を推し測ってみる。
★ 「飢餓や氷河期を乗り越えるための『知恵』?――いびきの原因は遺伝子にあり!?」(sea of tranquiklity(11月26日付)より)
いびきは原因の50%が遺伝子にあり、睡眠量を減らす代わりに食欲を増強させ体重増をもたらし体内に脂肪を蓄え、人類の祖先が飢餓や氷河期を乗り越える為の自然の知恵である、との説明。
私にはこれ以上脂肪は不要でどちらかと言えば深い睡眠こそを必要としたいのだが、体重増と脂肪貯蓄を程好いところで止めるべくいびきをストップさせる程度の融通を、遺伝子は持ち合わせていないようであり大変残念である。
新居に越してきた母と息子。大家には「父親が出張中につき2人暮らし」と説明する母親だったが、しかし実態はその下に3人の子供を抱えての母子家庭であり、しかも子供達は誰一人として学校に通っていなかった。年上の子供達が家事をし下の子の面倒を見てデパートに勤めに出る母親を支え、母親の時々の不在にも金策をして何とか生活していく彼等だったが、ある日を境に母親は家に全く帰ってこなくなり、子供達の暮らしは徐々に暗礁に乗り上げていく。
主演の少年が、カンヌ国際映画祭で史上最年少の最優秀男優賞を受賞した事で、一躍話題となった映画。YOUの演技に興味がある私とショタコンの友人とで連れ立って観に行った。事前に、この映画は巣鴨子供置き去り事件(ページ上から3分の1辺り)を元にした作品であるとの知識を得ており、実際の事件とどの辺が違うのかを観てきた。「母親が寄り付かなくなった間に長男が同じ年頃の子供達と知り合い、彼等との絆を重視するあまりに兄弟を蔑ろにし遂には死に至らしめてしまう」のが実際の事件の顛末と聞いている。しかし映画では、長男は同じ年頃の子供達と一時期親密になるもののすぐに疎遠となり、代わって苛めを理由に登校拒否に陥っている女子中学生(高校生?)と親しくなっていた。また末の妹が不幸な目に遭うのは元の事件も映画も一緒だが、映画のほうは死に至る理由に暴力は介在せず、死んだ後の扱われ方も随分と丁寧であった。
時代を当時ではなく今に据えた事で、住居がある以外は浮浪者同然の日々を過ごす子供達の異質性はより浮き彫りになり、また彼等の悲惨な境遇に不釣合いに映像は美しく穏やかで、彼等という存在の不安定さを一層際立たせていた。しかし実在の悲惨な事件をモチーフにしながら、そこにあった悼ましい悲劇の方向性を変えて、この映画は一体何を訴えかけたかったのかがよくわからず、後味が悪いという点では元の事件も映画も同じだけに、観終わった後しばらくもやもやした。同行の友人に「この映画の主題は何か?」と尋ねたら、「孤立」とあっさり回答が返ってきた。兄弟の間に加害被害の関係を発生させず、登校拒否の少女を新たに配置する辺りから、それが窺えるという。言われてみればなるほどその通りだな、と納得した。
演技の面はと言うと、母親である事よりも恋を優先させ、息子に対して「女」の論理を振りかざし、それでいて悪意が欠片もない母親の役に、YOUは「この母親役に他の女性は考えられない」という程にはまっていた。子供達のほうはと言うと、「適当な指示を与えてアドリブを引き出して、それが上手く噛み合った回」を採用とかそんな感じなんだろうか……あれはあれで巧いんだろうけど、私が思う「巧い演技」じゃないので保留。ただ、その家族としてまとまりのない雰囲気が、この映画の家族にはぴったりあっていると思った。