★ 萌え猫画像 梅さんを夢中にさせるものとは(ネコぢルシ(11月11日付))・返品?(にゃんぐら〜餅ネコタチーズ〜(11月11日付))・雨の日は眠い(Daily Yummy(11月11日付))・スリッパともずくのステキな関係(今日の犬様 今日の猫姫(11月11日付)より)
★ 「<新潟中越地震>『魚沼産』危機 来春作付、9割減の地域も」
被災で来春の作付が減少するだけでなく、耕作放棄に拍車がかかり、ブランド米としての存続が危ぶまれるとの声も出ているとの事。
★ 「サントリー ウイスキーをたるごと販売」(→関連:オーナーズカスク/サントリーより)
★ 「柳月 きなチョコ黒大豆」(舞え舞えカタツムリ(11月11日付)より)
煎り黒大豆をきなこチョコレートでくるんでいるらしい。チョコボール(大豆)のパワーアップ版高級版、といった感じか。
引用されているタイムズのコメントで、「米国人が年間9袋のインスタントラーメンを食べるのに対し、日本人は45袋」という内容と、「(日本国内に20万店以上のラーメン店がある事を受けて)この複雑な食品を日本人は家庭では作らず、ラーメン店に任せている」という内容が、どうにも噛み合っていないのが気になる。
予防接種は一部自己負担のため、避難所で生活する人のうち、希望者は六割に過ぎないとの事。こういう部分に的を絞っての募金活動とかあれば、善行が苦手の私でもさすがにお金を出すかなあ(「利便不便」の範疇を越えて「生き死に」に直結する問題だから)。
★ 「週末だけの運動でも、健康効果は高い」(choiris(11月11日付)より)
★ アレルギー 「小中高校生の1万人に1人 食事後の運動でアレルギー」・「いまや『ファッション』?―― 激増する食べ物アレルギーの患者、多くはただの『思い込み』!」(sea of tranquility(11月10日付)より)
1件目、特定の食品を食べた後に運動をすることで起きる急激なアレルギー「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」。死亡例もあるそうなのだが、アレルゲンとなる特定の食品を個々で明確におさえておく方向に行けば良いのか、それとも「食事後の運動は危険なのでやめましょう」と管理が楽な方向に流れるのか。
2件目は英国の記事で、実際は健康体にも関わらず、ちょっとした事から「自分は食品アレルギーをもっている」と思いこみがちな人が多い、との記事。「巷には食べ物アレルギー例が多いと信じ込む→だから私がその中の1人だとしても全くおかしくない→実際に食べ物で変な目に遭った→やっぱり私も食べ物アレルギーだったんだ!」という感じに「流行」が起こるんだろうが、それを「ファッション」という書き方をされると、まるで「病気な自分カッコイイ」思想のように読めてしまう。「ファッション」は辞書的には「流行」の意なんだろうけど、私的には「オサレ」の意味に解釈する場面が多いので。
綺麗だが禍々しい。
「『セクハラだ』と言えばなんでもセクハラになってしまうのか。」 1&2&3・「『セクハラ』事件について、一橋大学側の見解を聞いてみた 前説」・「『セクハラ』について大学カウンセラーに話を聞く」 前編&後編・「『セクハラ』について大学カウンセラーに話を聞いて、浮かんだ論点」(かーずSP 戯れ言(11月5日付)より)を読んで。
一橋大学園祭の歌合戦で起きた「セクハラ」事件を元に、「拡大解釈された<セクハラ>は、表現の自由を損ねるだけでなく、元来のセクハラを歪めセクハラ被害者救済の害となるのでは?」との疑問を投げかけ、何故そのような「セクハラ」の取り違えが起こるのかを探っている。興味深く追って読み、どうやら一段落したところでメモがてら紹介してみた。
差別問題が被差別側組織から拡大解釈されて悪用されるのは、セクハラに限った問題ではないが、それが一般化して手が付けられなくなる前に何とかしようとするのは恐らくとても正しい。大抵は「面倒臭いから」と、管理側に融通を利かせてしまいがちなところなので。
11月9日付のエントリでは、以下のような論点がまとめられている。
セクハラは
1:性的な言動だから悪いのか。
2:相手を不快にするから悪いのか(不快に感じたらそれはセクハラか)。
3:権力関係によって強制されるから悪いのか。
3’:閉じられた(逃げられない場所)で起こるから悪いのか。
4:セクハラの土壌を生むから悪いのか。
また、他の論点について
・「セクハラ」の中にジェンダーに関する問題(ジェンダー・ハラスメント)も含めるべきか。
・言論の自由(もっと広げて、表現の自由)は性的な言動に関してどの程度保障されるべきか。
・性的な言動をその他の言動と比べて考えるのはおかしいか(上の"1"の亜種)。
私がセクハラを「悪い」と思う理由は、
の3点。上記の論点で言えば、2以外の全部にあたる。
またその他の論点については、
と考える。なお、私がセクハラと認識しているのはごく狭い範囲の事例だけであり、「結婚とか子供の話題を頻繁に出されて不愉快」「職場にエッチなポスターを飾られて不愉快」なんてのは、「セクハラ」じゃなくて単なる「人生設計・趣味の不一致による摩擦」だと見なしている事を明記しておく。
こんにちは。
「プライバシー侵害肯定宣言?!」管理人のどこでもどあです。blogへのコメントありがとうございます。
>差別問題が被差別側組織から拡大解釈されて悪用されるのは、セクハラに限った問題ではないが、それが一般化して手が付けられなくなる前に何とかしようとするのは恐らくとても正しい。大抵は「面倒臭いから」と、管理側に融通を利かせてしまいがちなところなので。
とても的確な指摘ですね。重要な点を理解していただけて嬉しく思います。今後、「セクハラ」をした団体の話、「セクハラ」として演技を止めた一橋祭実行委員の話などを公開しつつ、ますます「セクハラ」の核心に迫っていく予定ですので、どうぞこれからもご注目ください。
それでは、失礼いたします。
こんにちは。処世術の「臭い物に蓋」方式なセクハラ論は巷で見慣れておりますので、それとは逆を行く、どこでもどあさんの真摯で新鮮な追求を今後も期待させて頂きます。