★ 萌えアニマル画像 「水の中へも軽々」(馬)・「オキちゃん坊や誕生 イルカの母子を一般公開 海洋博公園」(以上2件、ミオン動物園(8月4日付)より)
★ 「生態系壊すウシガエル駆除 地元住民が乗り出す 上富田町生馬田んぼの学校 」
「ウシガエルは水辺の生き物を手当たり次第食べてしまい、生態系に対してブラックバスよりも深刻な影響を与えかねない生物である」という、恐らくこの記事内で最も肝心である内容は抑えた。その上で、「人為的に持ち込まれたものではない『(多分)自然観察園の上にある池』から自然流入した生物を、人為的に排除するのが『自然観察園』維持の正しい方法なんだろうか」という素朴な疑問を抱いた。あと、小学校の自然観察園の手入れを行うのが小学生達じゃないのは意外な気がした。
★ 「遺伝子組み換え大豆が混入=半数以上の豆腐で−国民生活センター調査」(→関連:豆腐の品質と衛生/国民生活センターより)
偽装ではなく、輸送中等に偶然混入したと見られているとの事。
★ 「『ババヘラ』にキャンデー登場/若美の業者が県内限定販売」(→関連:AKITA DINING なまはげ)
先日メモしたババヘラアイスの棒キャンデー版。ババヘラアイスは、東京銀座の居酒屋風レストラン「なまはげダイニング」でも食べられるそうである。映画でも観に行く機会があったら、ついでに寄ってみたい。アイス目当てではあるが当然お酒も飲む。
★ 「吉野家でタコライスが食べられる」(デイリーポータルZコネタ(8月4日付))
日本移植学会は倫理方針で「臓器売買に関与する施設や個人への患者紹介禁止」を定めているが、患者の中には手段を選ぶ余裕もない人もいるのか、(ネット上での仲介を受けて等)海外で移植を受けた中には臓器売買関与の疑いがある例もある、との記事。
★ 「精神科医 部下に暴言 佐世保市立総合病院 20代女性がうつ病に」
部下にパワーハラスメントを1年間行い続けて鬱病に追い込んだという精神科医。
★ 「色変わるチューリップ開発 新潟、白地にピンクが拡大」(→関連:チューリップ新品種、花壇用「チューリップ新潟1号」、促成切り花用「チューリップ新潟2号」/新潟県農業総合研究所より)
開花初日は白地で花弁の縁だけがピンク、その後徐々にピンクの領域が拡がっていき、2週間後辺りには花びらの半分ほどがピンク色に染まる、という不思議なチューリップ。関連リンク先に画像がある。どの花か忘れたが、「咲いた時は真っ白、咲き終わった後萎んだ花がピンク」という花があったのだけど、同じようなメカニズムなんだろうかと勝手に想像。
ケリー・コンラン監督という人はどうやら新人だそうでよくわからないが、個人的には降板したというロバート・ロドリゲス監督の「火星シリーズ」を観てみたかった。
「広角的オタクと接写的オタク」(ぽいんつさんのブログ.(8月4日付))経由で、“「萌えオタ」と「腐女子」”by「萌えオタ」記者(福)氏につっこみ(doofrats(8月1日付))及び「『萌えオタ』と『腐女子』」(Fuku Diary(8月1日付))を読んで。好きな作品に対する雑多な批判を「許容する人」と「反発する人」を、「萌えオタ(=オタ男子)」と「腐女子(=オタ女子)」に短絡単純に置き換えてしまった為に、(福)氏という方が各方面から批判や猛反撃を喰らい、現時点では「以下の文章の本文における『男女差』に関する記述については、現在では当を失しているという認識であることを申し添えておきます」と訂正を加えている、といった状況のようである。
「作品を全体的に眺めて総評的に評価する」か、それとも「舞台設定・シナリオ・キャラクター等の個々の要素に着目する」か、には私が見る限りでは恐らく男女差はない。また、作品全体にしろシナリオやキャラ等の個々の要素にしろそれらに対する批判に対して、「冷静に耳を傾けて受け入れたり反論したりする」か、それとも「感情的に反論したり無視したり流したり等『批判自体を許容しない』」か、にも恐らく男女差はない。しかし、「カップリング論争」のような「『作品の読み解き方』に正統異端の判断を下して他者に押し付ける」姿勢は、もしかしたら腐女子特有のものかもしれず、そこにもしかしたら男女の違いがあるのかもしれない。……とまとめようとしたのだけど、友人に「萌えオタの中にも、『この作品をエロネタにするのは許さん!』と、エロネタにしたサークルに攻撃を加える連中もいる」という話を聞いたので、やっぱり男女差はないのかもしれない。オタの世界は広すぎ&深すぎて、守備範囲が極狭く深さも大したことのないぬるオタ偽オタな私如きが理解しきれるものではないのだなー、と思った。
ところでこのネタを取り上げようと思ったのは、(福)氏の主張に興味を惹かれたのも勿論だが、それ以上にはてなID:doofratsさんの斬りっぷりが面白かったからである。「こういう発言をする人が、今日び世の中に存在するわけがない、と思ってたんですけど」「今どきそんなこと言っちゃったらモテないのに、そんなことも知らないのが信じられない。要するに、現実の女の子からモテたくないわけ?」なんて発言を、最近はあまり目立たないけれど3次元女性叩きの盛んな自アン+に放り込んだら一体どんな騒ぎになるやら……と、想像するだけでとても楽しかった。特に過激な以下の発言は引用文表示。
彼のように「全体的な傾向性」(「性」はredundant! )「男女のメンタリティの違い」なんつって現実の女の子を否定する、つまり現実の女の子に夢が持てないのって、モテないだけじゃなく「女の子/腐女子」に対しても「現実/二次元」に対しても失礼だ。しかもそれを、自分たち「萌えオタ」というアイデンティティーを擁護する手段に利用してるだけだったらさらに質が悪い。そういう敗北主義って本当に救いようがないと思う。
私自身は、オタ女子とオタ男子がお互いいがみあう事に全くの必要性を感じていないけれど、でも相手を叩く事でお互い(或いは片方)の気が済むならそれで良いんじゃないかなーといつの頃からか諦めるようになり、そういった考えの一部に基づいて例えば自アン+では女臭い箱&項作成・投票をしない。「仲良くしたいからこそ」と、挑発的な文章をあげてコミュニケーションを試みるはてなID:doofratsさんのバイタリティは素直に感心した。
私が花火を観に出かけたりオフ会に参加したりしていた先週末に、自アン+でいろいろあったというか主に管理人ナトリ氏が何かを起こしていたらしい。「自アン+の箱が全消滅?」(moraz::memo(8月1日付))を見てだいたいの経緯はわかったのだけど、何故そんな事が起きたのかはいつもの通りわからないままである。
★ 夏真っ盛りのいま旅行の予定のひとつもない奴は動く死体(※リンク先消滅済※/自アン+より)
死ねっていうかそれもう死んでる。淋しいとかのレベルをもうベリーロールで超えてる。
せっかくのこの季節にそれで生きてて楽しい?生きてる意味ある?生きてる?生きてないよ。
オタって本当虫以下だよね。自我の安全の為には自宅に引き籠もってオナニー三昧で全然平気。
金の無駄とかもっと有意義な使い道があるとか言ってテメエに女か友達の一人もいねえから
何処行く何するにしたって全く楽しいヴィジョンが見えてこねえだけだろうがダラァッッ!!
判ったよ。もういいよ。君はそれでいいよ今の君でいいよ。死ぬまで。死んでるけど。
わたし週末に有給あわせてちょっと出掛けてくるからさ。帰ったらまた箱作るからさ。
わたしがヴァカンスを満喫しているあいだ君が何回オナニーしたかその時教えてよ。
by ヴィヴィアン(25歳・OL)
久々の煽り系女キャラ登場だが、盛り上がる前に箱を消されてしまった。私が見た時点で「ナトリより面白い」といった票が入っていたのが、ナトリ氏のご機嫌を損ねたのかもしれない。私個人は、どっちもわざわざ面白さを比べなくたって一緒くた扱いで良いじゃん、と思うのだけど。
映画「スペーストラベラーズ」の原作となった舞台。田舎の銀行を襲撃した強盗がすぐさま警察に包囲されてしまい、考えあぐねて人質達に仲間のフリを強要し「プロの国際テロリスト集団6人組」を装うドタバタ喜劇。強盗2人+銀行員2人+客2人の少人数のスラップスティックなやり取りが面白くまたほのぼのとしていて、それだけにラストは(「スペーストラベラーズ」のほうを観ていてさえ)衝撃的。映画のほうは、登場人物個々のキャラが立っており役割分担が為されてスラップスティックさが薄く、また強盗達が可愛らしく魅力的にアレンジされていたという違いがあった。その辺は主に先発後発・制作時期・表現形式・対象観衆等の違いによるもので、どちらが好みかを語ることはあっても優劣をつけるものではないのだろう、と思った。また、映画作品のビデオ化は画面サイズと音響が矮小化されただけの劣化に過ぎないが、舞台作品のビデオ化は広がりや余韻等の臨場感をすっぱり切り捨てる大幅な劣化なので、比べるのにも無理がある、と思った。
ウシガエルのように、もともとその閉鎖系に存在し得ない生物の場合、ワンクッションおいてもやっぱり移入種と考えるのが通常のようです。そもそも、小さなビオトープとか田んぼとか谷戸とか雑木林なんていうようなものはメンテナンスしないとどんどん遷移していきますから、維持管理作業なくして存続はありえません。人の介入がそんなニュースになる時点でなにかおかしいです。このニュース、ひょっとすると裏があるかもしれません。
自然観察園とはそういうものなのですね。私はてっきり、生き物達の面倒は見るけれども遷移はそのまま手出しせず、極相状態まで辿り着くその様子をも観察させるものだとばかり思っていました。
そうやって手入れが普通であるものをわざわざ記事にしたというのは、例えば証拠がないので記事内には書かないけれども「ウシガエルは誰かが放したものである可能性がある」とか、そういう事でしょうか。
人為的な放流であるか否かはあまり問題ではなく、どちらかというとその生態系において喰いつ喰われつのバランス内に収まっているか否かということが重要でしょう。私(おうる)の感覚ではウシガエルもサギ類やカワセミなどの鳥類がいれば充分生態系の範囲内だと思うのですが、ビオトープの管理者がそうは考えなかったということだと思います。
全国のビオトープにはさまざまな階層があるので勿論「全く手を入れない」というものもあるでしょう。ただ、共生や再生産(農業生産)を含むモデルの場合管理はむしろ不可欠です。ビオトープも「思想」の賜物である、ということです。理想のビオトープは各人の頭の中にだけあるのかもしれません。
件のウシガエルは恐らく自然流入でしょう。好適な環境があれば当然のことだと思います。でも、管理者の「思想」には入っていなかった、ということだと思われ…。
私(おうる)が感じている「裏」というのは、補助金とか役職とか、そういった絡みです。「ニュースも夏枯れる」という8月の、単なる埋め草かもしれないですけどね。
何を目的にしたビオト−プかによって、維持管理の方針も異なるという事ですね。
あと、「小学校の自然観察園」と記事にあったので「専門的知識や技術の有無が理由かも知れないけれど、維持を小学生以外がするのは感覚的にひっかかる」と思っていたのですが、単に場所を小学校に置いているだけで、管轄が小学校じゃないのかもしれない可能性に今頃思い至りました。