「ホットケーキミックスを使っていろんなおやつを作る」というコンセプトの本を所持している。今までは時折眺めて楽しむ以上の役に立ててなかったのだけど、いい加減イメージトレーニングを卒業して実戦に参加する機会が来たと思い、気になっているレシピの1つを試してみた。
本には「トマトジュースの塩味により甘みをあまり感じない」と書かれていたが、甘くないという程の甘くなさではなかった。ホットケーキミックスを使っているからまあ当たり前なのだろう。炊飯器で勝手に焼いたとは思えないぐらい程良くふわふわな食感に、バジルの風味が効いていてなかなか美味しかったが、トマトの味はもう少し強めに出たほうがより美味しいかも知れない。しかしトマトジュースの分量を増やすと生地がゆるくなってしまうので、生や缶詰のトマトを刻んで加える等してみると良いのかも知れない(がそんな一手間はメンドくさいかも知れない)。
★ 萌え猫画像 仰向けバンザイのびーんちーさん(猫って・・・(5月9日付))・まったりロビくん(ネコニッキ(5月8日付))・興味津々の瞳x6・ふかふかに埋もれ寝・ぬいぐるみと格闘(以上3点、かーずSP(5月9日付)より)
★ 萌えアニマル画像 「人の手、揺りかごに 国内初のインドゾウ赤ちゃん」
5月8日は「ゴーヤーの日」だそうである。ゴーヤーチャンプルーは美味しいと思うが、ゴーヤーアイスはどうだろう。
私の好みパターンとマッチしていないにもかかわらず原田泰造は何故か好きなので、「ジャンプ」は時間があえば観に行ってみようかと思う。
知らず知らずに話している相手をバッサリ。彼女と話した後には死人の山が・・・。なんていう自分では気づかずいつも笑顔な危険物ちゃんっていますよね。でも気づいていないだけで、もしかしたらあなただって張本人かも。みんなに白い目で見られる前に、あなたのトラブルメーカー度をチェックして!
sea of tranguility(5月8日付)より。
トラブルメーカー度ゼロ! どちらかと言うと被害者
ごくフツーに好奇心があり、ごくフツーに面倒みのいいあなた。でもトラブルを感知する能力には欠けてるようです。周囲の誰もが断るような話を受けてしまったり、乗らなくていい相談に乗ってしまったり・・・。そんな性格から他人の面倒に巻き込まれることが多そう。せめて、1度迷惑をかけられた人とは付き合わないようにしましょう。
トラブル感知能力に欠けているせいでトラブルに巻き込まれたら、それは自分の周囲の人にトラブルを波及させるのだから、つまり2次的なトラブルメーカーであると言えるのではないだろうか。私はそういうタイプ(石橋を叩かずに歩いて落ちて救助を求めて大騒ぎになる)だという自覚があるんだけど。
★ 星乃だーつ先生のサイト(イラスト)がネトランに掲載される
自アン界隈で歪んだ人気を獲得している星乃だーつ先生@ぷちアン管理人。彼がはてなダイアリ上で公開したはてな評議会たんイラストが、厨房雑誌と悪名高い彼のネットランナーに掲載されたとの事なのでメモ。掲載雑誌がネットランナーとなると、おめでとうと言うべきなのかお気の毒と言うべきなのかよくわからない。
★ (18歳)氏突然の引退劇
詳細は自アン+にほぼ間違いなくナトリ氏本人が作成した「05−09 18歳が急激にウザく感じてきた」箱(ナトリの日記へ移動後の予定URLにもリンク→こちら)を見て頂くとして、概略だけメモ。
以上は(18歳)氏とナトリ氏とのやりとりだけをまとめたもの。他の自アン+民の意見で目立ったところとしては、ナトリ氏同様「死亡事故の画像をネットにアップする姿勢はおかしい」という意見が多数で、他に「グロ画像で嫌がらせを働いたナトリも似たようなもの」「わざわざ箱作るなチャットで片付けろ」といった感じの意見が少数見られた。
私自身は、どちらかと言うと動機至上主義であり、死亡事故画像をアップし報告する行為はもちろん決して誉められたものではないけれど、それが自身の動揺を他と共有し鎮める為の行為であり画像の選択に配慮が為されていると言う話なら、目をつぶるというか大騒ぎしないでも良いかなと考える。なので今回の騒動(ナトリ氏の箱作成から他自アン+民の(18歳)氏批判まで)は私の想像を越えた大きさで少々驚いている。
この件で、(18歳)氏と同じく署名キャラである暴君氏が、日頃の言動からかけ離れた真面目で賛同できるコメントをナトリ氏作箱の中に残しているので、ここに引用して締めとする。
その場で写真を撮っちゃったのは、
自分を混乱させたそれを写真という形で他人に見せることで
そのときに自分が体験した不安などの感情を理解・共感してもらおう、
とかそういう目論見での行動じゃないかね。
意識してそうしたのか無意識のうちでかは当人にしか分からないけど、そんなところじゃないかなと思った。
ただ、そういうのはごく親しい仲間内などのかなり限定された中でやるのが適当というか
せめてもの分別だと思うので、正気に戻り次第取り下げるとかしてればまだ良かったんじゃなかろうか。
これに関してはやはりナトリの方が、ナトリであることを差し引いても正しいと思うので、
きちんと反省して明日への糧にするのが建設的で良いのではないだろうか。
僕もなんかさらっと流してたけど「やめときなよ」的な対応をするのが部外者として正解だったなと反省。 by暴君
★ 深山一喜氏最新長編
先日の夕方、庭仕事をしていると、一匹の猫が庭の中に入りこんできた。
見慣れない猫である。どうやら、日ごろ私の頭を悩ませている猫連中とは違うらしい。
私がいくら威嚇してもまるで逃げ去る気配が無い。それどころか、かよわく甘える声を発しながら、
私の足元にすり寄って来るのである。そしてついには縁側から家の中へあがりこんでしまった。
この事態に慌てた私は、大声を浴びせて脅かしたり、モップの柄で突いたりして、猫を縁側の
出口へ導こうとしたが、猫は怖がる様子さえ見せず、のんびりと家の中を歩き回っている。
そのあまりに当然のごとく振舞うさまは不思議にさえ感じるほどだった。猫が苦手で触ることさえ
ためらってしまうほどの私だったが、意を決して猫の脇を両手で抱え、なんとか家の外まで連れ出した。
その後、私は猫を従えつつ家を出て、百メートルほど遠くへ歩いた。やがて民家の
建ち並ぶ場所までたどりつき、そこに猫を残したまま、走って我が家に戻った。
うす汚れて毛並みも乱れてはいたが、シャム猫ふうの高級そうな容貌の猫だった。
首輪こそしていなかったものの、あの馴れ馴れしさは飼い猫に違いなかった。
もはや疑うまでもなく、つい最近になって誰かに捨てられた猫だったのである。
あの猫は、自身の現在置かれた状況をいったいどのように認識しているのだろうか。
そんなことを想像してみると、猫が苦手な私でさえ、やりきれなくてたまらなかった。
猫を捨ててしまう人間の思考の過程は、私にも容易に想像ができてしまう。
捨て猫の行く末を想像することから逃げ、ほんのしばらくの間自己嫌悪の感情を
抱いてみせることで、まんまと贖罪達成の安堵を自身に与えてしまうのである。
生き物の都合の良い部分だけを享受し、それで生き物の本質をつかんだつもりでいる。
そんな未熟な人間性がもたらした結果が、町にあふれる不幸な野良猫たちなのだが、
ペットショップの中だけで全てが完結する程度の生物観しか築けない猫オタには、
この悲劇の本質にたどりつく機会は永遠に訪れないのかもしれない。
権利には敏感ながら義務には鈍感。自分本位の枠から脱した思考の出来ない脳足らず。
この世に猫オタがいるかぎり、今後も猫の悲劇は後を絶たないのであろう。
(深山一喜)
深山一喜氏は「迷惑な外猫皆殺し」的主張を繰り返していたのではなかったかと思うが、ターゲットは猫ではなく猫オタであると主張する為の方針転換だろうか、自宅にあがりこんだシャム猫風の猫のエピソードを通じて捨て猫に対する思いやりの姿勢を見せている。