起き抜けからおなかが痛くて腰が重くて足が痺れるので、会社に欠勤の連絡を入れて1日休み。ついでに酷く眠い。一応メールの返事を待つ間に、携帯を握り締めながらうつらうつらと眠る。
日常生活に支障を出してまで、私の身体はほぼ毎月のように子供を産む準備を整えているというのに、もしかしたらこのまま子供を産む機会もなしに一生を終えるというのは、私の身体の中の女性的な機能を無駄にしているというか裏切っているように感じて心苦しい近頃。
人間は社会性動物だから何も各々の個体が子供をもうけなければならないものでもないと私は思っているし、「子供を産まない=人間として不完全」と言いたい訳でもなく、単に活きている機能を活かさないのってどうなんだろうなーという次元の話。婦人科医で詳しく調べたら生殖機能なしと診断されない(=実は機能が活きてなどいない)とも限らないのだけど。体調と精神状態の悪さにひきずられてだらだらと垂れ流した、頭の悪い感傷と切り捨てて頂くべき文章である。
★ 萌え猫画像 ロビ殿下生誕2周年祝賀会(ネコニッキ(4月17日付))・新聞紙とちーさん。(猫って・・・(4月19日付))・風呂場前で出待ち・腹ばい・水飲み(以上3点、かーずSP(4月19日付)より)
2件目の「新聞紙とちーさん。」で思い出したが、「なぜネコは新聞を広げると乗りにくるのか」(憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記(4月17日付))にリンクした各ニュースサイトは、猫に触れたその文章の中に痛烈な専業主婦批判が含まれているところまできちんと把握した上でリンクを張ったのか、何となく気になっている。
★ 萌えアニマル画像 「珍鳥ひと休み 神戸・西区でヘラサギ確認」
動物王国側で動物達の移送前及び移送後に駆虫薬投与とエキノコックス検査を行い、検査で陽性が出た場合は隔離や薬の再投与・施設消毒等を実施、6月18日迄に検査を終えあきる野市の対策委員会に結果を報告し、問題がなければあきる野市は安全宣言を出し、7月の開園に漕ぎ着けようという予定だそうである。
★ 「景気も『カニ頼み』 山城町・蟹満寺で供養放生会/京都」
「食べられようとした多くのカニを助けた娘がヘビに嫁入りを迫られ、カニがその身を犠牲にして娘を救った」という、今昔物語等に記載されている説話が寺の名の由来ともなっているそうである。供物として捧げられるタラバガニと放されるサワガニ達の運命の明暗が面白い。
★ 「<冷凍食品>骨ごと食べられる魚、相次ぎ開発」(→関連:魚が丸ごと食べられる『骨まで丸ごとシリーズ』新商品の開発について/ニチレイより & 業界初!「骨までおいしい魚」新開発のお知らせ(PDF)/マルハ(株)より)
不足しがちなカルシウムの他、リンや骨の周囲のコラーゲンまで摂取できるという事で、受注が追いつかないほどの大人気だそうである。
閉鎖性内湾で海水の循環が悪く、富栄養化の原因となる有機物が溜まって水質悪化を起こしやすい湾に、陸上からホースで空気を送り込んで海水の酸素濃度を高めたところ、微生物の活動が活発化して余分な有機物を吸収すると同時に、牡蠣が有機物を吸収し微生物を接触して成長、海水が浄化されると共に大きくて美味しい牡蠣が獲れるという結果が得られたそうである。
★ 「『服従ニワトリ』が人気、Burger Kingサイトに訪問殺到」(→関連:Subservient Chicken/※海外サイト※)
ここ最近各種ニュースサイトで取り上げられていた「服従ニワトリ」。私は自アン+で知って、いろんなコマンドを打ち込んで遊んでいたが、中でも“pray”を入力した時の大仰なお祈りがツボだった。しかしこのサイトが日本国内で人気を得たところで、バーガーキングの店舗数が満足な数存在しないのが、利用者にとっても恐らく経営側にとっても哀しいところ。
「『痴』と『呆』のいずれにも蔑視的な意味合いが含まれており、痴ほうという言葉にもこうしたニュアンスが感じられる」からだそうである。「知能低下症」とでも呼べば蔑視的ではなくなるだろうか。
★ 「劣化ウラン弾被害広がる 子供のがん発生率急増−−イラク人医師が報告/北海道」
劣化ウラン弾による放射能汚染で白血病をメインとする癌発生率が急増しており、癌センターでは患者数に対してベッド数が圧倒的に足りない他、サリドマイド等の先天性障害も急増しているとの報告。
★ 「テイツー、秋葉原に大型の古書店とネットカフェを同時開店」(→関連:テイツーAKIBA PLACEE店出店について(PDF)/古本市場 (株)テイツーより)
マクロスはよくわからないが、古本市場(本をじゃぶじゃぶアライグマ♪)とネットカフェが秋葉原にできるのはぬるオタ的には便利だと思った。
分野を限定しない様々な映像で、パブリック・ドメイン(社会の共有財産)として無料で利用できる「ストック映像」の中から選ばれた映像を素材とし、その中から好きなものを選び繋ぎあわせたり加工したり会話や音楽等を追加したりして、3分の短編映画に仕上げるという映画祭。必要なものは、ビデオ編集ソフトウェアが入ったコンピューターと、参加費20ドルだそうである。一から創造しなくても、ありものを継ぎ接ぎする中で創造性を発揮するタイプの人に向いていそう。
着々と恩田陸作品を消費する日々。今日のこの作品は、「六番目の小夜子」「球形の季節」と続いての第3作目であり、今まで読んだ学園ミステリー(ホラー?)から離れた作品となっている。
秘書をしている大学教授に連れられて、今は故人である女流画家の遺作展に足を運んでみた女性が、会場で恐ろしい既視感に囚われ失神。そのショックも覚めやらぬ内に教授宅へ教授と彼女を訪れた画家の遺児は、「彼女が亡き母の生まれ代わりである」と確信している事、それを根拠として「自分と一緒に母親の形見分けを手伝って当時の記憶を思い出して欲しい」、と告げる。遺児もまだ幼い頃に非業の死を遂げた亡き女流画家は、その死の状況をひた隠しにされていた事もあり世間一般の記憶は薄く、主人公の女性が遺児と一緒に関係者達の元へ足を運ぶ毎に、女流画家の素顔及び死の真相が少しずつ明らかになっていく構成が面白い。登場人物がやや多くて絡みの薄い人物もおり、この辺はもう少し整理したほうがよりシャープな雰囲気になっただろう事と、ミステリとしては先が見えてしまいそうな展開なのがやや惜しい。何処かの書評サイトで「恩田陸の長編は練り込みが足りない」といった感じの指摘を読んだが、これは的を射ていると思った。扱われるネタや登場人物・舞台の醸し出す独特な雰囲気が、多少の欠点をカバーするだけの充分な魅力を持ってはいるのだけど。
主人公である女性は特殊な能力所持者であるにもかかわらず影が薄い存在である。が、彼女がその生まれ変わりとされる「今はマイナーな存在だがかつて一世を風靡した事もある女流画家」のカリスマ的存在感、彼女が秘書を務める大学教授のほのぼのとした人当たりの下に隠された豊富な知性、彼女を心配し見守る姉の料理好きな美人といった女性らしさとバリバリのキャリアウーマンで疲れて家でくつろぐ時のおやじ臭さといった二面性、その他何人かのキャラの個性的な魅力が光っていた。今までの学園物では見られなかっただろうキャラ達である。