2005-03-30 豚骨ラーメンにしてやられる/ニュースいろいろ/オタ気取りのサブカルvsヌルオタ [長年日記]

[雑記] 豚骨ラーメンにしてやられる

先週末辺りから俄かに忙しくなってきた。昨夜は疲れ果てて帰り、ご飯の用意どころか食べる気力も沸かずにそのまま布団に潜ったので、今日は何が何でも夕食だけは逃すまいと心に決めた。

昨夜の残業の成果あり、今夜は酷くは遅くならずに会社を出る事ができた。友人が友人の友人と落ち合って食事をするそうで、ご相伴に預かる事にした。向かった先はとんこつラーメン屋。全員揃って、評判だという角煮ラーメンとビールを注文した。

ややあって運ばれてきたラーメンを口にして、私は自分の失敗を悟った。麺を啜ると豚骨の脂が舌と喉に絡み付き、息が詰まりそうになるやら麺の熱さで逆上せかけるやら。普段であれば大好物の角煮も、今はくどい肉塊としか思えない(半分以上を友人の丼に追いやった)。また渇いた喉を潤し胃に染み渡って疲れをほぐす筈のビールも、今日は口から胃へと喉の中を通過していく味気ない液体でしかない。

暗澹としつつ、それでも食べないよりはマシと思って気合を入れて麺を口に運んでいる内に、今度は脂気にやられて段々気分が悪くなってきた。結果、食べる前よりも体調を悪化させて店を後にした。

[動物] 萌え猫画像/萌えアニマル画像

萌え猫画像 デカさ対決(SUGAR POT(3月30日付))・イマイチなお土産!?(晴れのちニャンコ日和(3月23日付))・猫の「みけ」ちゃん(inside out(3月30日付))・巡りあえた猫(ねこにゃ!(3月29日付)/かーずSP(3月30日付))

萌えアニマル画像 トンビにあぶらげ(毎日めろめろ(3月27日付))・「馬3頭、春の『お散歩』 島根県飯南の国道」

[医療・健康] ローフード主義者の骨は細いが健康

「ローフード主義者、骨は細いが健康=米研究」sea of tranquility(3月29日付)より)

加熱処理しない食品「ローフード」による食事を厳守している菜食主義者は、骨は細いが骨粗鬆症の兆候は見られなかった、との調査結果。少ないカロリー摂取による体重の軽さが骨の細さに関連している可能性があるらしい。

骨が細くて丈夫というのは、骨が太くかつ歪で痩せていた時代も今とは違う意味で不恰好だった私からすれば、大変に羨ましい。そのローフード主義とか言う奴に乗り換えれば、私も今からでも骨が細くなるだろうか。

[その他] 愛地球博関連/首都圏私鉄各社に女性専用車両登場予定

「女性専用車両、5月から首都圏の私鉄各社に登場」sea of tranquility(3月29日付)より)

JRの埼京線で4月4日から、東武・西武・京成・小田急・東急・京急・東京メトロ・相鉄・東京都営地下鉄の各主要路線で5月9日から、それぞれ導入されるらしい。女性専用車両とそれ以外、どちらがより混雑するかが気になる。混まないほうに乗りたいが、女性専用車両以外のほうが空いているという理由でそちらに乗った時に「女性専用車両以外の車両に乗る女は痴漢に遭いたがっている」とか思われたらすごく嫌。

[日記読み] オタ気取りのサブカルvsヌルオタ

「オタクとサブカルの違い」(倦厭日記/カットキャットの散歩道(3月30日付)。「オタクとサブカルの違いなんてほとんど無いだろう」「オタクと名乗ろうがサブカルと自称しようが、その対象や物の見方はほとんど同じ」という断り書きの上で、オタ系とサブカル系の違いについて考えている文章。私もオタとサブカルの違いについて時々思いを馳せてみては、もやもやした印象を論理化された文章に置換できず、いつも途中でぶん投げて終わりにしていたりする。自分では答えが出せない分、他人の出した答えには興味が沸く。

野河氏は、オタとサブカルの違いを「オタクは『対象を自分が楽しむための物』として扱い、サブカルは『対象を自分を飾るためのアイテム』として扱っている」「オタクはどんなに自分が対象が好きかという見せ方をし対象と自分の距離の近さをアピールするのに対して、サブカルは対象と自分の距離や関係を見せないようなまるでただの研究対象のような見せ方を好む」としている。一般的な認識と照らし合わせてどうかは知らないが、少なくとも私が頭の中でもやもやと考えていたものには綺麗にあてはまった。それと同時に、私の中でぴんと閃くものがあった。

私が何故オタとサブカルの違いなんかに思いを馳せるかといえば、大学時代の野河氏が「お洒落のために対象を使っているサブカルが、まったく飾っていないオタクをバカにしている」と感じていたらしいのにやや近い。近いがそれより更に屈折していて、「お洒落のために対象を使っているだけの癖して対象を楽しんでいると言い張ってファッションである事を認めない『オタ気取りのサブカル』が、対象に対する想いはあれど諸所の事情によりいまいち距離を縮められずにいる『ヌルオタ』をバカにしている」と感じているからである。それはあたかも、実際にはモテな人間がファッション的意味合いで非モテ系を名乗るのに対し、身も心も非モテだが自己主張するまでには至らない人間が反発を覚えるのに似ているのではないか、と思われる。

しかし私は今日、私の目に映る「オタ気取りのサブカル」の中に、正真正銘のオタが紛れ込んでしまっている可能性に気付いた。対象への愛情が測り知れないほど深くて距離も対象と癒着せんばかりに近いオタでも、自分と対象とを客観的に見る眼差し及び自分と対象を客観的に語る文章力を持ち合わせている場合には、外から見れば「サブカル系」との区別がつかないのではないか、と。そうであれば、その「『オタ気取りのサブカル』に見紛う理知的オタ」に対して、対象への想いも距離も観察力も語る言葉も何もかもが半端な私如きヌルオタが反発するのは滑稽も良いところである。彼等はファッションの為に私を踏み台にしているのではなく、持ち合わせた才能故にオタらしく振舞っていてもカッコ良く見えてしまうに過ぎないのだから。

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