2010-04-05 演劇について、初めて知った“決まり事” 他 [長年日記]

演劇について、初めて知った“決まり事”

友人の友人が演劇を演ると聞き、とても久々に観に行った。これまで何回か観に行った某劇団の芝居は、SFとオカルトと哲学が絡んだような深い脚本も、それを演じる役者達も、共に好みであった。しかし、劇団とりわけ脚本家が有名になるにつれ、個人的に腑に落ちない客演が織り込まれたり、特定の役者の起用頻度が目に見えて減ったりし始めた。私はそういう展開をどうしても見たくなくて、結果的に足を運ばなくなってしまった。今回観に行く芝居は、とてもとても小規模で内輪だそうなので、その点で安心して出かけた。

――そして、観終わった。私が今回観た演劇は、スライドショーを多用し、役者演じる登場人物達の日常と、役者本人の日常を交錯させる仕組みであった。例えて言うならば、発したコメントを膨らます過程で出演者のプライバシーに踏み込む展開が普遍的であり、リアリティーショーと近しくなっている感もある、最近のバラエティー番組のようであった。

……という感想を、演者の友人であるところの友人に伝えたところ、教えてくれたのが、「演劇においては演出家は絶対的存在」という“決まり事”であった。今回観た演劇には、「演出家が他の出演者に仕組まれて、隠し通したいに違いない赤裸々なプライバシーを暴露されて涙目になる」という場面があった。私こと素人は「これは演出? それとも事実?」と、判断が付かずにおろおろして終わっていた。ところが、“演劇の決まり事”を知っている人からすれば、最初からフィクション確定であり、悩む余地等なかったらしいのであった。

そうなると、私は観終えたばかりの演劇の意図(メタ)を理解するのと引き替えに、他の物事がいろいろわからなくなるのだった。まず一つが、TVや週刊誌等で目や耳にする、「役者と演出家の対立」みたいな逸話の存在。“演劇の決まり事”で、演出家が絶対的存在とされているならば、役者が楯突くのは非常におかしい。TVや週刊誌で素人相手に話題を煽る目的の、玄人には見え透いた嘘なのか。それとも、自身の人気や実力を拠り所に、“神”=演出家に敢えて反旗を翻す役者なのか。或いはその逆に、どうでも良い劇のどうでも良い役者故に、演出家も適当にあしらっておいただけなのか――。

そしてもう一つが、“演劇の決まり事”が出現し絶対化する過程。小学校・中学校の部活演劇なら、顧問教師が演出指導するであろう、大学のサークル演劇なら、プロに倣いプロルールに従うであろう、と推測した。となると、高校の演劇辺りから、演出家が絶対的な力を持ち始めるものなのか。その演出家とは、生徒の中から出てくるのか、それとも顧問教師或いは外部から招いた指導者なのか。そうではなくて、“演劇の決まり事”は大学辺りから忽然とそして頑と出ずるものなのか。

答えはわからないので、疑問のまま終わる。何にせよ、「絵」や「読書感想文」という前例がある通り、義務教育で触れられている範囲内のそれと、専門家が生業として行っているそれとは、決定的な違いがあるのが“普通”なんだろうな、と思った次第である。

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道端に咲く(世界はニャーでできている。-なでしこ館-)

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オセアニア(カンガルー他)&サクラ(コサギ他)(以上2点、動物園始めました。)/「レンズを覗き込む仔キツネちゃん」(ギズモード・ジャパン)/「ヤブイヌに赤ちゃん…京都市動物園」(読売新聞)・「平川動物公園のカバ『龍馬』におからの誕生ケーキ/鹿児島市」(南日本新聞)

「おからをスポンジケージと生クリームに見立て、周りをキャベツやキウイで鮮やかに飾り付け」「細切りにしたニンジンでメッセージ」「ろうそく代わりに半分に切ったバナナを立て、イチゴを乗せて火を表現」。<「平川動物公園のカバ『龍馬』におからの誕生ケーキ/鹿児島市」


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